『A子の覚悟。』を投稿してほどなく、
『あかり』から、LINEが届いた。
やりとりする中で、彼女の過去の傷に辿り着く。
『あかり』とは。
わたしの門下生。愛知県一宮市在住。[リメクス]というフラワーサロンの代表。「りえむし」という名前で活動している。わたしが19歳(岐阜県の大学2年生)のときに出会い、最初の本格的な心のコンサルをしたのが、彼女。
1つ下の彼女は、母親の呪縛がまとわりついていた状態で、当時の彼女には、夢も希望もなく、生きる意味さえわからない状態だった。
大学進学も親の希望。その先の職業も、すべて親の希望。彼女はただ、その通りに歩むしかなかった。
「このままなら、早くて5年後には、自ら命を断つだろうな・・」
そこまでのことを、初対面で感じた。
死にたければ死ねばいい。本人の自由だ。しかし、何も知らないまま今世を終わらせてしまうのはもったいない。
わたしにできることがあるなら、彼女の知らない世界を見せていくことだと思い、わたしは彼女の人生に関わっていく。
同じバレーボール部に所属し、バレーボールの考え方、そこからの人間性や価値観。
「勝つためには」「徹底とは」ということから、「目の前の壁から逃げるな!」ということも。
バレーボール意外では、食事に行ったりゲームセンターに行ったり、彼女の親の干渉を潜り抜け、朝まで遊んだり。
わたしは、先に卒業し、大分へ。
それでも縁は切れずに連絡を取り合っていた。
彼女は、親の言う通りの職業として、小学校の教師に。
親に縛られた狭い視野では、何十人の子どもの視野を受け入れるキャパなど備わっていない。
それでも、彼女なりに踏ん張った。
わたしは3年で、さっさと教師を辞めたが、彼女は親に支配され続けていたため、辞めることもなく。
そんな中、彼女も結婚をした。彼女の夫も、同じ大学でわたしも知っている。
彼女は、まだまだ親に支配されたまま。
彼女が、28になる年に、電話がきた。
「もう、学校に行けない・・・」
彼女の心は悲鳴をあげていた。そのために酷く体調を崩していた。
わたしからしたら、「そりゃそうなる」という事態だ。
わたしは、
「辞めたら?」
と言うが、彼女は返事をしない。
わたしは、彼女に、
「どんな理由であれ、先生が学校に行けないんだから、クラスの子どもたちからすりゃいい迷惑でしょ?
あなた自身も、これ以上、無理じゃん?」
と言った。
かすれる声で、彼女が、返事をする。
わたしは核心に迫る。
「どうせ、首吊って死にたい!と思ってるんでしょ?親のせいにしたいんじゃん?
どうせ死ぬなら、最後に、親と喧嘩でもして、言いたいこと言ってからにしたら?
それもしないで死んだって、あなたの気持ちなんて親はわからないままだよ?」
彼女は、どこか吹っ切れた声で、
「わかった。」
と答えた。
何日か経って、彼女から連絡が来た。
実家に帰って、親に「辞めたい」と話したと言う。
わたしは、
「よくがんばったじゃん!おつかれさま!」
と、言った。
内容を聞くと、
彼女が「辞めたい」と、母親に伝えても、母親はすぐには受け入れず、
「今までどれだけ苦労してきたことか」
「全部、あんたのために」
と、話し出したらしい。
そこで、彼女は、母親の話を振り切り、
「お母さんは、私のことが好きなんじゃない!
お母さんは、お母さんの言うことを聞く私が、好きなだけだ!」
と、ぶちまけた。と。
その言葉を、彼女が母親にぶつけるには、計り知れない勇気がいっただろう。
彼女にしたら、死に物狂いで発したに違いない。
それほど、親の呪縛とは、良くも悪くも強力なものなのだ。
彼女からそう言われて、母親は黙ったらしい。
そして、
「わかった。好きにしなさい。」
と言われ、彼女は、退職した。
彼女は、ずっと、「子どもは欲しくない」と言っていた。
自分も母親と同じような子育てをしてしまうのではないか。自分の二の舞になるのではないか。と、恐怖を感じると話す。
しかし、彼女の夫は子どもを望んでいたし、彼女の恐怖も、実際に経験してみないと乗り越えることはできないと、わたしは感じていた。(それに、心の奥底から欲しくないと思っていたわけではないことも、わたしには、わかっていた。)
わたしは、彼女に、
「ごちゃごちゃ言わずに、子どもを望んでみたら?あなたが1人で子育てすると勘違いしてるから、怖いだけで、子育てなんて1人じゃできないから。」
と伝えた。
程なくして、彼女の妊娠がわかった。
わたしは、一足先に、出産・子育てを経験していたので、彼女の妊娠中もやりとりをしていた。
わたしは、実家が遠かったのもあり、あまり親に頼らずに、近くの友だちを頼って子育てをしていた。しかし、基本的には、自分と赤ちゃんの時間。大人の普通の会話ができないのだ。それだけでも、絶望に似た心境になる。
初めての子育ての、何につまずき、どこに闇が潜んでいるのか、自分の経験を通して学んだ。
そんな中、彼女も出産をした。
わたしは、「なるべく、大人に頼って、普通の会話ができる環境がいいよ。赤ちゃんの首が座るまでは、頼った方がいい。」と、伝えていたが、
彼女が選択したのは、里帰りをせずに、両家の親が、2週間ずつ、手伝いに来る。というものだった。
そもそも、親の呪縛に縛られて育ったために、他人とのコミュニケーションがうまくいかない。
大事なことを、どう伝えて良いのかわからない。
親のエゴが強い環境だったから、自分もエゴが強くなるのは当たり前。
親が手伝いに来ても、うまく甘えることもできずに、
それはそれで疲弊すると彼女は言う。
しかし、
子育ての本当の闇は、母子だけの時間にあることを、わたしは知っていたので、それでもわたしは、
「子どもが3か月になるくらいまでは、実家に帰った方がいいよ?」
と伝えていた。
両家の親が手伝いにきてくれた期間も過ぎ、本格的に、母子の時間が始まる。
夫の仕事は、24時間勤務もあるので、彼女も24時間子どもと2人きりになることも多い。
わたしは、
「遠慮せずに、24時間、いつでも電話してきて良いから。夜中も眠れないときもあるだろうから。そんな時も、連絡して!遠慮しないで!」
と、伝える。
それでも、彼女は遠慮をして、疲れ切った頃に連絡をくれるのだ。
24時間、いつでも対応した。夜中だろうが、早朝だろうが、食事中だろうが、関係なく。
それでも、わからないことを「わからない」とすぐに言えないことも、彼女自身を追い詰めていた。
ある日の昼間、彼女からの電話。
もう、限界であろう口調。
わたしは、
「実家に帰ったら?」
と言う。
彼女は、
「でも・・お母さんが・・」
と、震える声で言う。
わたしは彼女に、
「自分で、『1人で子育てする!』と言っちゃったから、今更、実家に帰ってもお母さんに怒られると思ってるんやね?」
と、伝えると、
彼女は、
「うん・・・」
と、素直に返事をした。
わたしは、
「それで、やってみたんやん?やってみたけど、やっぱり無理やったなーってことやん?それでいいやん?
何が悪いん?チャレンジしたからわかったことやろ?仕方ないことやん?」
と、伝えると、彼女の泣き声が聞こえる。
わたしは続けて、
「じゃあ、わたしからお母さんに言うから。あなたは、荷物をまとめて。実家の電話番号、教えて?」
と、言い、
教えてもらった番号に、電話をかけた。
彼女の母親が電話に出た。
「大学のときにお世話になりました、いくえです。彼女の結婚式の時も、お世話になりました。」
と、切り出すと、母親もすぐにわたしを認識してくれた。
わたしは、
「彼女のことなんですけどね。初めての子育て、彼女なりにがんばったけど、これ以上は、1人では無理だと思います。お母さんも、なんとなく気づいているかなと思いますが。
今、お父さんいらっしゃいます?」
母親が、
「えぇ、います。」
と、答える。
(わたし)
「そうですか、なら、急で申し訳ないのですが、彼女と赤ちゃんを今から迎えに行ってもらえませんか?」
(母親)
「今からですか?」
(わたし)
「はい。今すぐに。もう時間がありません。」
『時間がない』という言葉に、母親もハッとした様子で、
「わかりました。でも、道中は、2時間はかかると思います。」
と、言う。
わたしは、
「わかりました。彼女に伝えておきますので。急にすみません。よろしくお願いします。」
2時間後、あかりから連絡が来て、親と合流したとのこと。
母親も、何も言わずに、迎えてくれたことを喜んでいた。
彼女の夫は、ちょうど24時間勤務中。
夫にも、わたしからメールで事情を伝えた。
彼女が実家に帰った夜、わたしは彼女の母親宛に、ファックスを送った。
急なお願いに対応してもらった感謝から始まり、彼女がこれまで努力してきたこと、彼女の本音、いろんなことをA4の用紙4〜5枚になったと思う。
その中で、わたしが母親にお願いしたことは、
「よくがんばったね!と、彼女を抱きしめてほしい。」
ということだった。
たったそれだけで、すべての呪縛は解かれることも、わたしにはわかっていた。
そこに、わたしは気持ちを込めて記した。
数日後、わたしは彼女に、ファックスの話をした。
すると、彼女は、ファックスのことを知らなかった。
そして、抱きしめてもらえても、なかったようだ。
なるほど。
母親もまた、同じように育てられたのだろう。
自分が抱きしめてもらってないのに、どうして抱きしめることができるのか。
酷な話だ。
抱きしめたい気持ちは山々だが、行動に出るまでが簡単ではないことを、わたしは彼女たちを視ながら、学んだ。
結局、子どもの首が座るまで、実家で過ごすことができた。
その後も、子育てを通しては、彼女自身の傷を癒すことを繰り返し、時々、わたしから傷をえぐられる粗治療も受けながら、今では2人の子どもがいる。
そして、大好きな花に携わっている。
そんな彼女と、そこまでの縁がありながらも、
わたしは彼女と前世の繋がりがずっとわからないまま20年が過ぎていた。
そしてわたしは『茜』と出会うのだが、『茜』をみたとき、『あかり』とそっくりだなぁ。と感じた。
何がそっくりなのかというと、親子関係を通しての育った環境だ。心のくすぶりというか、煮え切らない何かが、そっくりだった。
茜にもまた、初対面のときに、
「あー、早くて5年後に死ぬんだろ。」
とさえ、視えていて、
「死にたきゃ勝手にしろ」
くらいの気持ちで、深く関わるつもりなど一切なかった。
しかし、茜が帰ろうとしたときに、わたしは、茜に、
「よく生きてきたね。」
と、言わなければならない衝動にかられた。
思わず、立ちあがろうとするが、その瞬間に、
「いやいや、知ったことか。」
と、思い直し、伝えずにいた。
それでも、わたしの奥底の、わたしが騒ぐ。
わたしは、茜と関わり、心のコンサルをするか悩む。
そういう話を、あかりにも、電話で話した。
するとあかりは、わたしに、
「こんなことを言うのは無責任かもしれない。いくえさんにとったらものすごく大変なことだとわかってる。だけど・・その人(茜)が助けてもらえないのなら、私が18歳のときに助けてもらった意味がないと思う。だから、その人のこと、助けて欲しい。」
と、言ったのだ。
見たことも会ったこともない人間のことを、どうしてそこまで自分と重ね、思うのかーーー。
それから2年が経った、2023年5月。
過去のブログにも出てきた《Nさんと前世の記憶の話。》の、Nさんの助言から、
2人は姉妹では?
名前は、『茜』と『あかり』。
ということが浮上した。
その中で、あかりは、幼くして亡くなったのか、わたしとは直接の接点はない。
だから、わたしは、あかねとの前世の繋がりがわからなかった。
あかりは、茜に自分の分の人生も託した。しかし、茜は不慮の事案で、わたしと離れてしまう。
400年後、
今度は、あかりが先にわたしの前に現れ、20年かけて、茜とわたしの接点までこぎつけた。
あかりと茜は、今世、わたしの前で、それぞれの人生を歩んでいる。
あかりに、わたしは、こう伝えた。
「もう、今世の自分の過去に、上から土をかぶせて見えなくするんじゃなく、アリの巣の研究のように、横から見て良いんじゃないの?
事実だけを見て、そこに自分の感情を乗せる必要もないじゃん。」
『あかり』から、LINEが届いた。
やりとりする中で、彼女の過去の傷に辿り着く。
『あかり』とは。
わたしの門下生。愛知県一宮市在住。[リメクス]というフラワーサロンの代表。「りえむし」という名前で活動している。わたしが19歳(岐阜県の大学2年生)のときに出会い、最初の本格的な心のコンサルをしたのが、彼女。
1つ下の彼女は、母親の呪縛がまとわりついていた状態で、当時の彼女には、夢も希望もなく、生きる意味さえわからない状態だった。
大学進学も親の希望。その先の職業も、すべて親の希望。彼女はただ、その通りに歩むしかなかった。
「このままなら、早くて5年後には、自ら命を断つだろうな・・」
そこまでのことを、初対面で感じた。
死にたければ死ねばいい。本人の自由だ。しかし、何も知らないまま今世を終わらせてしまうのはもったいない。
わたしにできることがあるなら、彼女の知らない世界を見せていくことだと思い、わたしは彼女の人生に関わっていく。
同じバレーボール部に所属し、バレーボールの考え方、そこからの人間性や価値観。
「勝つためには」「徹底とは」ということから、「目の前の壁から逃げるな!」ということも。
バレーボール意外では、食事に行ったりゲームセンターに行ったり、彼女の親の干渉を潜り抜け、朝まで遊んだり。
わたしは、先に卒業し、大分へ。
それでも縁は切れずに連絡を取り合っていた。
彼女は、親の言う通りの職業として、小学校の教師に。
親に縛られた狭い視野では、何十人の子どもの視野を受け入れるキャパなど備わっていない。
それでも、彼女なりに踏ん張った。
わたしは3年で、さっさと教師を辞めたが、彼女は親に支配され続けていたため、辞めることもなく。
そんな中、彼女も結婚をした。彼女の夫も、同じ大学でわたしも知っている。
彼女は、まだまだ親に支配されたまま。
彼女が、28になる年に、電話がきた。
「もう、学校に行けない・・・」
彼女の心は悲鳴をあげていた。そのために酷く体調を崩していた。
わたしからしたら、「そりゃそうなる」という事態だ。
わたしは、
「辞めたら?」
と言うが、彼女は返事をしない。
わたしは、彼女に、
「どんな理由であれ、先生が学校に行けないんだから、クラスの子どもたちからすりゃいい迷惑でしょ?
あなた自身も、これ以上、無理じゃん?」
と言った。
かすれる声で、彼女が、返事をする。
わたしは核心に迫る。
「どうせ、首吊って死にたい!と思ってるんでしょ?親のせいにしたいんじゃん?
どうせ死ぬなら、最後に、親と喧嘩でもして、言いたいこと言ってからにしたら?
それもしないで死んだって、あなたの気持ちなんて親はわからないままだよ?」
彼女は、どこか吹っ切れた声で、
「わかった。」
と答えた。
何日か経って、彼女から連絡が来た。
実家に帰って、親に「辞めたい」と話したと言う。
わたしは、
「よくがんばったじゃん!おつかれさま!」
と、言った。
内容を聞くと、
彼女が「辞めたい」と、母親に伝えても、母親はすぐには受け入れず、
「今までどれだけ苦労してきたことか」
「全部、あんたのために」
と、話し出したらしい。
そこで、彼女は、母親の話を振り切り、
「お母さんは、私のことが好きなんじゃない!
お母さんは、お母さんの言うことを聞く私が、好きなだけだ!」
と、ぶちまけた。と。
その言葉を、彼女が母親にぶつけるには、計り知れない勇気がいっただろう。
彼女にしたら、死に物狂いで発したに違いない。
それほど、親の呪縛とは、良くも悪くも強力なものなのだ。
彼女からそう言われて、母親は黙ったらしい。
そして、
「わかった。好きにしなさい。」
と言われ、彼女は、退職した。
彼女は、ずっと、「子どもは欲しくない」と言っていた。
自分も母親と同じような子育てをしてしまうのではないか。自分の二の舞になるのではないか。と、恐怖を感じると話す。
しかし、彼女の夫は子どもを望んでいたし、彼女の恐怖も、実際に経験してみないと乗り越えることはできないと、わたしは感じていた。(それに、心の奥底から欲しくないと思っていたわけではないことも、わたしには、わかっていた。)
わたしは、彼女に、
「ごちゃごちゃ言わずに、子どもを望んでみたら?あなたが1人で子育てすると勘違いしてるから、怖いだけで、子育てなんて1人じゃできないから。」
と伝えた。
程なくして、彼女の妊娠がわかった。
わたしは、一足先に、出産・子育てを経験していたので、彼女の妊娠中もやりとりをしていた。
わたしは、実家が遠かったのもあり、あまり親に頼らずに、近くの友だちを頼って子育てをしていた。しかし、基本的には、自分と赤ちゃんの時間。大人の普通の会話ができないのだ。それだけでも、絶望に似た心境になる。
初めての子育ての、何につまずき、どこに闇が潜んでいるのか、自分の経験を通して学んだ。
そんな中、彼女も出産をした。
わたしは、「なるべく、大人に頼って、普通の会話ができる環境がいいよ。赤ちゃんの首が座るまでは、頼った方がいい。」と、伝えていたが、
彼女が選択したのは、里帰りをせずに、両家の親が、2週間ずつ、手伝いに来る。というものだった。
そもそも、親の呪縛に縛られて育ったために、他人とのコミュニケーションがうまくいかない。
大事なことを、どう伝えて良いのかわからない。
親のエゴが強い環境だったから、自分もエゴが強くなるのは当たり前。
親が手伝いに来ても、うまく甘えることもできずに、
それはそれで疲弊すると彼女は言う。
しかし、
子育ての本当の闇は、母子だけの時間にあることを、わたしは知っていたので、それでもわたしは、
「子どもが3か月になるくらいまでは、実家に帰った方がいいよ?」
と伝えていた。
両家の親が手伝いにきてくれた期間も過ぎ、本格的に、母子の時間が始まる。
夫の仕事は、24時間勤務もあるので、彼女も24時間子どもと2人きりになることも多い。
わたしは、
「遠慮せずに、24時間、いつでも電話してきて良いから。夜中も眠れないときもあるだろうから。そんな時も、連絡して!遠慮しないで!」
と、伝える。
それでも、彼女は遠慮をして、疲れ切った頃に連絡をくれるのだ。
24時間、いつでも対応した。夜中だろうが、早朝だろうが、食事中だろうが、関係なく。
それでも、わからないことを「わからない」とすぐに言えないことも、彼女自身を追い詰めていた。
ある日の昼間、彼女からの電話。
もう、限界であろう口調。
わたしは、
「実家に帰ったら?」
と言う。
彼女は、
「でも・・お母さんが・・」
と、震える声で言う。
わたしは彼女に、
「自分で、『1人で子育てする!』と言っちゃったから、今更、実家に帰ってもお母さんに怒られると思ってるんやね?」
と、伝えると、
彼女は、
「うん・・・」
と、素直に返事をした。
わたしは、
「それで、やってみたんやん?やってみたけど、やっぱり無理やったなーってことやん?それでいいやん?
何が悪いん?チャレンジしたからわかったことやろ?仕方ないことやん?」
と、伝えると、彼女の泣き声が聞こえる。
わたしは続けて、
「じゃあ、わたしからお母さんに言うから。あなたは、荷物をまとめて。実家の電話番号、教えて?」
と、言い、
教えてもらった番号に、電話をかけた。
彼女の母親が電話に出た。
「大学のときにお世話になりました、いくえです。彼女の結婚式の時も、お世話になりました。」
と、切り出すと、母親もすぐにわたしを認識してくれた。
わたしは、
「彼女のことなんですけどね。初めての子育て、彼女なりにがんばったけど、これ以上は、1人では無理だと思います。お母さんも、なんとなく気づいているかなと思いますが。
今、お父さんいらっしゃいます?」
母親が、
「えぇ、います。」
と、答える。
(わたし)
「そうですか、なら、急で申し訳ないのですが、彼女と赤ちゃんを今から迎えに行ってもらえませんか?」
(母親)
「今からですか?」
(わたし)
「はい。今すぐに。もう時間がありません。」
『時間がない』という言葉に、母親もハッとした様子で、
「わかりました。でも、道中は、2時間はかかると思います。」
と、言う。
わたしは、
「わかりました。彼女に伝えておきますので。急にすみません。よろしくお願いします。」
2時間後、あかりから連絡が来て、親と合流したとのこと。
母親も、何も言わずに、迎えてくれたことを喜んでいた。
彼女の夫は、ちょうど24時間勤務中。
夫にも、わたしからメールで事情を伝えた。
彼女が実家に帰った夜、わたしは彼女の母親宛に、ファックスを送った。
急なお願いに対応してもらった感謝から始まり、彼女がこれまで努力してきたこと、彼女の本音、いろんなことをA4の用紙4〜5枚になったと思う。
その中で、わたしが母親にお願いしたことは、
「よくがんばったね!と、彼女を抱きしめてほしい。」
ということだった。
たったそれだけで、すべての呪縛は解かれることも、わたしにはわかっていた。
そこに、わたしは気持ちを込めて記した。
数日後、わたしは彼女に、ファックスの話をした。
すると、彼女は、ファックスのことを知らなかった。
そして、抱きしめてもらえても、なかったようだ。
なるほど。
母親もまた、同じように育てられたのだろう。
自分が抱きしめてもらってないのに、どうして抱きしめることができるのか。
酷な話だ。
抱きしめたい気持ちは山々だが、行動に出るまでが簡単ではないことを、わたしは彼女たちを視ながら、学んだ。
結局、子どもの首が座るまで、実家で過ごすことができた。
その後も、子育てを通しては、彼女自身の傷を癒すことを繰り返し、時々、わたしから傷をえぐられる粗治療も受けながら、今では2人の子どもがいる。
そして、大好きな花に携わっている。
そんな彼女と、そこまでの縁がありながらも、
わたしは彼女と前世の繋がりがずっとわからないまま20年が過ぎていた。
そしてわたしは『茜』と出会うのだが、『茜』をみたとき、『あかり』とそっくりだなぁ。と感じた。
何がそっくりなのかというと、親子関係を通しての育った環境だ。心のくすぶりというか、煮え切らない何かが、そっくりだった。
茜にもまた、初対面のときに、
「あー、早くて5年後に死ぬんだろ。」
とさえ、視えていて、
「死にたきゃ勝手にしろ」
くらいの気持ちで、深く関わるつもりなど一切なかった。
しかし、茜が帰ろうとしたときに、わたしは、茜に、
「よく生きてきたね。」
と、言わなければならない衝動にかられた。
思わず、立ちあがろうとするが、その瞬間に、
「いやいや、知ったことか。」
と、思い直し、伝えずにいた。
それでも、わたしの奥底の、わたしが騒ぐ。
わたしは、茜と関わり、心のコンサルをするか悩む。
そういう話を、あかりにも、電話で話した。
するとあかりは、わたしに、
「こんなことを言うのは無責任かもしれない。いくえさんにとったらものすごく大変なことだとわかってる。だけど・・その人(茜)が助けてもらえないのなら、私が18歳のときに助けてもらった意味がないと思う。だから、その人のこと、助けて欲しい。」
と、言ったのだ。
見たことも会ったこともない人間のことを、どうしてそこまで自分と重ね、思うのかーーー。
それから2年が経った、2023年5月。
過去のブログにも出てきた《Nさんと前世の記憶の話。》の、Nさんの助言から、
2人は姉妹では?
名前は、『茜』と『あかり』。
ということが浮上した。
その中で、あかりは、幼くして亡くなったのか、わたしとは直接の接点はない。
だから、わたしは、あかねとの前世の繋がりがわからなかった。
あかりは、茜に自分の分の人生も託した。しかし、茜は不慮の事案で、わたしと離れてしまう。
400年後、
今度は、あかりが先にわたしの前に現れ、20年かけて、茜とわたしの接点までこぎつけた。
あかりと茜は、今世、わたしの前で、それぞれの人生を歩んでいる。
あかりに、わたしは、こう伝えた。
「もう、今世の自分の過去に、上から土をかぶせて見えなくするんじゃなく、アリの巣の研究のように、横から見て良いんじゃないの?
事実だけを見て、そこに自分の感情を乗せる必要もないじゃん。」