自分と向き合うとは。②


わたしと関わると、
否応なしに、自分と向き合わなければならなくなる。

それが嫌で嫌で仕方なければ
わたしとの縁はないし、縁があったとしても途切れる。


そういうことを、わたしはずっと繰り返してきた。


前回のブログ、【自分の向き合うとは。】では、わたしからの視点での解釈を書いたが、


今回は、みなさんからの視点。

「自分と向き合うとは?」

それは、つまり、

「自分を丸裸にすること」

である。



わたしとの関わりで、
自分が丸裸にされることを拒めば縁がない。
ということだ。



自分の価値観、思考、解釈、感情。
すべてを、素直にありのままに丸裸にする。

本当なら、自分の中での作業なので、
誰にも見られることはないし、
恥ずかしさもない。


しかし、
人間とは面白いもので、
自分の中の作業なのにも関わらず、
カッコつけようとする。

自分基準の、意味不明なカッコをつけ、
自分の丸裸すら、自分で見ようとしない。



わたしとの関わりの中でも、
わたしからの指摘に
どうでもいい理由を並べる。

わたしの指摘は、責めているのではなく
事実確認をしているのだが、

自動的に
「責められている」
と判断して、無意味なごちゃつきを生む。


本当に時間の無駄だ。


特に、
40代は、もう、時間がない。


気力も薄まるし、人のせいにだけはどれだけでもできる図々しさだけは兼ね備えている。
その中で、「変わりたい!」と言っても、
1秒後には、誰かのせいにして、後回しにして、目の前のことだけに時間を取られる。


そのまま、50代になると、
もう、他人の悪口が止まらない。

本人は、それが悪口だとも思っていないところまで突き抜けてしまう。

そうなると、本当に、人生の後半は、その世界だけになり、自分は広げたいと思っていても、相手から拒まれる事態になる。



そんな人間を、もう何人も見てきた。



そもそもわたしは、
40代で、変わることすら、「難しい。」と伝えてきた。

だから、茜のコンサルも、40になるギリギリのところで、
「時間がない!」
と、毎日のように繰り返していた。


逆に言えば、ギリギリ30代だったから、
あの期間でこなせたのだとも、思っている。



実際、
茜のコンサルを、40代にも何人も伝えてきた。
だけど、それを聞いて、どれくらいが、行動に移せただろうか。


結局、自分が傷つかないことを優先にして、頭では考えていても、実際の行動は後回し。
その理由は、他人のせい。
という展開がほとんどのように見受けられる。




年齢は関係ない。
確かにそうだ。

しかし、それは、動く人間は、
20代だろうが60代だろうが動くし、

動かない人間は、
20代でも動かない。



つまり、
動かない人間がほとんどで、
20代30代で動かなかったのが、
どうやって40代で動けるのか。

自分の命が賭からないと動けないし、
賭けられても動けないのだ。


それを本人がどれだけ自覚するか。


自分の今の実力こそが、
自分の丸裸そのものなのだ。