先日、とあるお客様との会話の中で、
「経験がないとイメージができない。」
という話で盛り上がった。
その方は、20代から経営者として、いろいろなことを自分でチャレンジしてきたようで、当たり前にその分の経験が自分の糧になっている。
しかし、自分にいろんな経験があり、その分、幅広くイメージできるようになればなるほど、
与えられたことしかやってこなかった人間との理解度は、乖離(かいり)するという話だった。
与えられたことしかやってこなかった人間になる原因には、必ずと言って良いほど、親が関係する。
❶1つは、親から理不尽に怒られ続けてきたこと。
この理不尽というものは、基本的には、本人の意思とは別の理由を突きつけられることだが、わたしは理不尽さのすべてを否定するわけではない。
理不尽な思いをすることで、新たな価値観を得ることができるのも確かだからだ。
しかし、この場合の親は、そこまで考えて生きておらず、理不尽になる理由は、100%自分の感情をコントロールできないだけであり、自分のことしか考えていない。
そのため、子どもは、必死に親の気持ちを汲もうとするが、常に正解がないので、だんだんと思考レベルが落ちて行く。
結果、親の気持ちを汲むよりも、もっと確実な、「親の言うとおり」にすることに100%重きをおく。そのため、自分と親との関係性を保つことがすべてになるので、他人と接する時も、相手の言うとおりにしか動けない。
❷もう1つは、特に母親が弱い場合。
母親が、自分の立場を常に弱い立場に置いてきて、それを当たり前に見てきたこと。
自分の立場を弱い立場に置くと、自分の身に降りかかるものは、100%人のせいにするしかない。
なので、何をするにも、すべて人のせいにすることの思考だけは突出していて、自分を省みることはしない。というか、自分を省みるという選択肢が存在することを知らずに、何十年も生きている状態だ。
❸そしてさらに、もう1つ。
それは、前述した話の両方を持ち合わせている場合。
わたしの経験上、両方を持ち合わせている人間が意外と多いと感じている。
そして、このどれもが共通しているのは、
『客観視が、わからない。』
『客観視が、できない。』
ということ。
客観視ができないまま、大人になることなんてあるのか⁈と、わたしも最初は驚いたが、事実だった。
どれも、親がお手本として、客観視した行動をしていないので、子どもが客観視できないのは当然。
常に、主観的であり、「自分が」「自分が」から思考が始まる。
「自分が損しないように」
「自分が悪者にならないように」
そうやって、自分を守ることを最優先に考えているつもりなのだが、現実には、他人との共存であり、他人が自分を見てどう思うか?という思考がなければうまくいかない。
そして、他人は、自分に率直には伝えてくれない。
だから、
「何も言ってこないということは、自分の思考は正しい。」
という、解釈に至る。
自分が怒られないように、自分を守ってきた行動があったから、自分は怒られないのだ。と、客観的に見ると、どこまでバカなのか?と呆れるが、客観視することはないので、それがわからない。
それでも、中には、率直に伝えてくれるありがたい存在が現れる。
しかし、その人のことも、主観的にしか見れないので、
「あの人から、怒られる。」
「あの人は、いつも怒る。」
という解釈しかできない。
さらには、その解釈が正しいと思っているので、その解釈をそのまま他人にも話す。
何度も言うが、
【他人は、率直には伝えてくれない。】
それを聞いた他人は、
「そうなんだね。」
とは言うが、内心は、
「コイツ、とんでもないバカだな。」
と判断する。
しかし、本人は、そんな思考の選択肢がないので、自分の思考が100%正しいと判断する。
この時点でも、他人との距離はますます乖離(かいり)していくことになる。
で、この話を聞くと、今度は、どうしていいかわからないので、さらにパニックになる。
パニックになったとしても、何もできない。
結局、誰かのせいにするだけ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
実際、これに当てはまる人たちが、わたしのところに集まり、門下生としてわたしのメンタルコンサルティングを受けた実績がある。
最後までコンサルを受けた門下生は、さまざまな場所で活躍している。
【自分の人生=自分の人間性】
自分を変えるのは、自分しかない。
そのヒントをお伝えするのが、わたしの役目。
↓メニュー(リンク)↓
◎視心カウンセリング
◎エネルギー調整(イクエ式。整心体)
◎幾重塾(イクエ式。メンタルコンサルティング)
◎神秘のお香『麻りあ』
◎あなたのお護り『龍球』
「経験がないとイメージができない。」
という話で盛り上がった。
その方は、20代から経営者として、いろいろなことを自分でチャレンジしてきたようで、当たり前にその分の経験が自分の糧になっている。
しかし、自分にいろんな経験があり、その分、幅広くイメージできるようになればなるほど、
与えられたことしかやってこなかった人間との理解度は、乖離(かいり)するという話だった。
与えられたことしかやってこなかった人間になる原因には、必ずと言って良いほど、親が関係する。
❶1つは、親から理不尽に怒られ続けてきたこと。
この理不尽というものは、基本的には、本人の意思とは別の理由を突きつけられることだが、わたしは理不尽さのすべてを否定するわけではない。
理不尽な思いをすることで、新たな価値観を得ることができるのも確かだからだ。
しかし、この場合の親は、そこまで考えて生きておらず、理不尽になる理由は、100%自分の感情をコントロールできないだけであり、自分のことしか考えていない。
そのため、子どもは、必死に親の気持ちを汲もうとするが、常に正解がないので、だんだんと思考レベルが落ちて行く。
結果、親の気持ちを汲むよりも、もっと確実な、「親の言うとおり」にすることに100%重きをおく。そのため、自分と親との関係性を保つことがすべてになるので、他人と接する時も、相手の言うとおりにしか動けない。
❷もう1つは、特に母親が弱い場合。
母親が、自分の立場を常に弱い立場に置いてきて、それを当たり前に見てきたこと。
自分の立場を弱い立場に置くと、自分の身に降りかかるものは、100%人のせいにするしかない。
なので、何をするにも、すべて人のせいにすることの思考だけは突出していて、自分を省みることはしない。というか、自分を省みるという選択肢が存在することを知らずに、何十年も生きている状態だ。
❸そしてさらに、もう1つ。
それは、前述した話の両方を持ち合わせている場合。
わたしの経験上、両方を持ち合わせている人間が意外と多いと感じている。
そして、このどれもが共通しているのは、
『客観視が、わからない。』
『客観視が、できない。』
ということ。
客観視ができないまま、大人になることなんてあるのか⁈と、わたしも最初は驚いたが、事実だった。
どれも、親がお手本として、客観視した行動をしていないので、子どもが客観視できないのは当然。
常に、主観的であり、「自分が」「自分が」から思考が始まる。
「自分が損しないように」
「自分が悪者にならないように」
そうやって、自分を守ることを最優先に考えているつもりなのだが、現実には、他人との共存であり、他人が自分を見てどう思うか?という思考がなければうまくいかない。
そして、他人は、自分に率直には伝えてくれない。
だから、
「何も言ってこないということは、自分の思考は正しい。」
という、解釈に至る。
自分が怒られないように、自分を守ってきた行動があったから、自分は怒られないのだ。と、客観的に見ると、どこまでバカなのか?と呆れるが、客観視することはないので、それがわからない。
それでも、中には、率直に伝えてくれるありがたい存在が現れる。
しかし、その人のことも、主観的にしか見れないので、
「あの人から、怒られる。」
「あの人は、いつも怒る。」
という解釈しかできない。
さらには、その解釈が正しいと思っているので、その解釈をそのまま他人にも話す。
何度も言うが、
【他人は、率直には伝えてくれない。】
それを聞いた他人は、
「そうなんだね。」
とは言うが、内心は、
「コイツ、とんでもないバカだな。」
と判断する。
しかし、本人は、そんな思考の選択肢がないので、自分の思考が100%正しいと判断する。
この時点でも、他人との距離はますます乖離(かいり)していくことになる。
で、この話を聞くと、今度は、どうしていいかわからないので、さらにパニックになる。
パニックになったとしても、何もできない。
結局、誰かのせいにするだけ。
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実際、これに当てはまる人たちが、わたしのところに集まり、門下生としてわたしのメンタルコンサルティングを受けた実績がある。
最後までコンサルを受けた門下生は、さまざまな場所で活躍している。
【自分の人生=自分の人間性】
自分を変えるのは、自分しかない。
そのヒントをお伝えするのが、わたしの役目。
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◎視心カウンセリング
◎エネルギー調整(イクエ式。整心体)
◎幾重塾(イクエ式。メンタルコンサルティング)
◎神秘のお香『麻りあ』
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