選択判断能力。


今月も、岐阜出張サロンを開催できた。

岐阜出張サロンは、2016年にスタートして、
2022年からは、茜との2人体制となり、同時に車での移動を始めた。

最初は、車が好きな茜の経験として、大分〜岐阜を自分の運転で移動するという、ある意味のチャレンジ企画のようなものだった。
(わたしは、20代の頃にそういう経験は済ませていた。)

その頃の茜は、コンサル中でもあり、まだまだ今の姿とは程遠く、何をするにも、わたしが解釈を広げていかないと理解ができないような状態だった。
運転ひとつ安心できないので、今思えば、わたしにとっては道中も、ものすごく苦痛な時間だった。

しかし、
人間は、本人が「成長したい。」「成長しよう。」と決めればその通りになることも、茜によって答え合わせができ、今となっては、道中、苦痛を感じることは一切ない。加えて、車移動だからこそ、ある程度の荷物も一緒に運べたり、現地での移動を考えたりすると、利点も多く仕事もしやすいので、便利とすら感じている。


とはいえ最近は、あおり運転だの逆走だの、過去の茜よりも理解できない事案での事故も多い。
反対車線での事故処理をする様子を、何度も見ているのも確かで、クルマの移動は便利だが、安全性の高さは以前よりも揺らいでいるのかもしれない。

車は、絶対的に進化している。
運転しやすく、安全性も高い。あらゆる自動システムも搭載され、人間の判断をサポートまでしてくれる。
しかし、人間の心と思考の進化は、実際のところ、どうだろうか?

あおり運転も、逆走も、車の故障や不都合ではなく、100%、人間の選択判断が原因だ。


物質的なものがどれだけ進化しようと、
人間の心と思考が土台となる「選択判断」が、安全性高く、進化していかなければ、『人間のために』作りあげたものが、『人間によって』意図しない方向へ使われる。


ロボットのように、プログラムされたものを自動的に判断するのではなく、あらゆる選択肢の中から、最善なものを選択する。
それは、価値観の広さによって選択基準も選択するものも変わる。
その価値観の広さは、自分がどれだけ多くの経験をしたかによる。経験したことは想像(イメージ)でき、経験したことなら、先の見通しもつきやすい。

行動だけではなく、そこには必ず感情もついてくる。
その感情を同時にコントロールしながら、最善を選択する。

そういった多くの情報から、自分が実践できる選択判断をこなしていくことが、社会生活と言うのかもしれない。



車だけでなく、スマホも同様だ。
進化したこの機器を、どう使うか?人間ひとりひとりの選択判断能力を問われている。
 
スマホというと、ネットリテラシーが子どもを対象に学習対象になることが多い。

もう何年も前のことだが、以前わたしが関わった小学校のPTAの九州大会に参加したときのこと。全大会の議題が、子どものネットリテラシーについてだったと記憶している。

SNSの使い方だとか、その中で起こるいじめだとか、ステージにはほとんど男性が登壇して、議論していた。もちろん、観客席側からも様々な意見もあがっていたのだが、わたしからしたら、どれも『綺麗事』のように聞こえた。
子どものことだからか、どこか当事者意識が薄いようにも感じたし、登壇している男性陣が、実際どれだけSNSを利用しているのかも疑問だった。


SNSなんか、利用しない方がいい。
利用しても、ろくなことがない。


そんなような言葉を、別の言葉に含ませているようにも感じた。

しかし、現実はどうだろうか・・・

わたしは、その時、

「SNSを利用して、裏アカを作り、人の悪口ばかりを投稿しているのは、子どもよりも、大人の方が多いのでは?ステージに登壇されている方は、その現実をご存知ですか?ここの会場にいらっしゃる方の中にも、そのように利用している方がいるのでは?旦那の悪口から始まり、義母の悪口、職場の人の悪口、いろいろあると思います。しかし、それって、悪いことなんですかね?それを「するな」と言えるんですかね?」

と、発言しようかと、しばらく迷っていた。

が、これを発言したところで、ただこの会場をざわつかせて終わるだけになるかもしれないなと判断し、発言せずに終わった。


車にしろ、スマホにしろ、その行動自体を抑止させる議論ではなく、常に根本的な部分にフォーカスしなければ、本当の問題解決には繋がらない。