幸せになる覚悟がない。


こういう人は、実はものすごく多い。

幸せになる気などさらさらなく、
ずっと、不幸でいたいのだ。


「そんなことない!」
と、反論したくなる人ほど、実際はどうなのか?自分と向き合って欲しい。


『不幸な自分』は、幼少期から始まる。
それは、親が不幸が幸せだと思い込んでいる場合がほとんどだ。


例えば、
人間はなぜ、自分を否定したがるのか?
それは、
自分を否定することで、
・周りから「そんなことないよ」と、慰められたい。
・優しい言葉をかけてもらいたい。
・自分の価値を他人に認めてもらいたい。
という、常に誰かに責任を持たせたいという思考がある。
一見、か弱いように見せかけて、頭の中では『全て人のせい』にしかしていないのだ。
それも、無意識に。

そういう人は、自分からは、
「自分が悪い」
と言い出すが、周りが、
「そうやね、あなたが悪いよ。」
と、言い出すと、
「そんな!ひどい!」「そんなこと言わないで!」
と、反論しだす。

自分が悪者になる気など、さらさらない。
普通に考えて、誰しも、自分が悪者になりたい人などいない。
その時点で、簡単に「自分が悪い」と言い出す人間は、本心ではないのだ。


一言で言うと、ただの嘘つきなのだが、本人はそれが美学だと思って疑わないので、結局は、だんだんと周りは離れていく。
それを、本人は、「ひとりぼっち」だと憂うのだが、本心は、自分に原因があることなど、1ミリも受け入れるつもりはない。

そしてそれを、ぐずぐずぐずぐず、子どもに話す。
それを聞かされた子どもの気持ちなど、1ミリも考えることはない。
なぜなら、自分が悲劇のヒロイン(ヒーロー)で気持ちが良いからだ。


その結果、子どもが当たり前に受け継ぐのは、
『不幸であることの、気持ちよさ。』
である。


そして、「幸せになりたい!」と、願うフリをする。

そういう人間にとって、幸せというものは、
『なんにも考えなくていいパリピな世界』
だと本気で思っている。

だから、一生、願いは叶わない。
自分が『不幸であることの、気持ちよさ。』を切り捨てる気もないし、そもそも『なんにも考えなくていいパリピな世界』など、この世には存在しないからだ。


つまり、
「幸せとはなにか?」
という、根本的なことは、何一つ考えることもないので、『なんにも考えなくていいパリピな世界』を妄想して、その世界にいけていない自分を憂うフリをしながら、100%周りのせいにして一生を終えるのだ。


また、
親が子どもの気持ちを無視して、自分の妄想を押し付ける場合も、不幸が幸せだと思い込んでることがほとんど。

もっと言うと、
「不幸にならないと、幸せにはなれない。」
と、本気で思っている。
だから、子どもに謎の我慢を強いることが平気なのだ。


心理学(児童心理学)や脳科学なんて、世の中にはザラに知識が溢れている。
しかし、そういった勉強は、絶対にしない。


なぜか、自分の思い込みがいちばん正しいと、疑わない。
そんな人間が、未だにあちこちで蔓延って(はびこって)、子育てをしている。

子育てだけでなく、近しい人との人間関係も、それが基準になっている。


もはや、地獄絵図だ。


わたしのところに案内された方の大半は、
わたしに「本を読め」と言われる。


基本的な知識がない時点で、地獄からは這い上がれないからだ。
心理学も脳科学も、基本的なことは、100年前も今も変わっていない。

もっと言えば、何千年も前から、仏教が同じことを説いている。


それを、何一つ、学ぼうとしないで、不幸祭りを晒して、惨めなものだ。


基本的な知識がなければ、
誰かが放つキーワードさえ、ピンと来ない。

だから、流行りのショート動画を見ても、わかったフリはするが、具体的に自分と向き合うきっかけには、できていない。


幸せになる覚悟がない人間は、本を読まないし、読めないし、読解力も乏しい。
周りのせいにすれば解決すると思っているのだから、本を読む意味すら見出せないのは、当然だ。


わたしのこのブログも、一度、読んだだけでは理解できないと言う人が多い。

わたしとのLINEなどの活字のやりとりも、長文が多く情報量も多いので、頭が筋肉痛になる人が多い。

全て、あなたの脳の機能に、必要な刺激を与えているのだ。
(活字なら、何度も読み返すことができるのが、大きな利点だ。)


それを受け取る気があるか。
全ては、自分次第ということだ。