先日、ある会話の中で、
「直感の必要性」
という話になった。
「自分の直感は、大事だよね。」
と、みんな思っている。
しかし、
「だけど、人の言うことの方を信じてしまう。」
という、話にもなった。
人を信じることも、必要だ。
しかし、「丸投げ」とは、別物。
そして、
その人を信じる選択をした、自分を信じ切ることが、ものすごく大事になる。
「それが、なかなか難しい・・」
おそらく、大半の人が、同じ意見だろう。
結局、みんな、逃げ腰なのだ。
だから、どれも中途半端。
自分のことでさえ、責任が取れないなら、
そりゃ普段から、何も考えずにいるのは、当たり前だし、
小さなことから、人のせいにしているのも当たり前のことだろう。
人のために。
と、綺麗事は言える。
しかし、自分とも向き合えてないのに、どうやって、他人と向き合えるのか。
結局、他人とも、向き合ってるつもりなだけで、その場しのぎのことしか、できない。
それで、
あなたのためにやったのに!
と、心の奥底で思っている。
つまり、
「直感の必要性」
という話になった。
「自分の直感は、大事だよね。」
と、みんな思っている。
しかし、
「だけど、人の言うことの方を信じてしまう。」
という、話にもなった。
人を信じることも、必要だ。
しかし、「丸投げ」とは、別物。
そして、
その人を信じる選択をした、自分を信じ切ることが、ものすごく大事になる。
「それが、なかなか難しい・・」
おそらく、大半の人が、同じ意見だろう。
結局、みんな、逃げ腰なのだ。
だから、どれも中途半端。
自分のことでさえ、責任が取れないなら、
そりゃ普段から、何も考えずにいるのは、当たり前だし、
小さなことから、人のせいにしているのも当たり前のことだろう。
人のために。
と、綺麗事は言える。
しかし、自分とも向き合えてないのに、どうやって、他人と向き合えるのか。
結局、他人とも、向き合ってるつもりなだけで、その場しのぎのことしか、できない。
それで、
あなたのためにやったのに!
と、心の奥底で思っている。
つまり、
欠乏欲求のところを、グルグルしているだけなのだ。
成長欲求のところは、「自分と向き合う」ことでしか得られない。
「欠乏欲求は、22歳くらいまでに、乗り越えておくことだ。」
と、25年前にこれを学んだ時に、言われたように思う。
それを聞いた当時のわたしも、納得した。
成長欲求のところは、「自分と向き合う」ことでしか得られない。
「欠乏欲求は、22歳くらいまでに、乗り越えておくことだ。」
と、25年前にこれを学んだ時に、言われたように思う。
それを聞いた当時のわたしも、納得した。
しかし、たくさんの人と接してみると、ほとんどの人が、何歳になっても、欠乏欲求を満たされないままでいることに気づいたのだ。
そして、その位置にいる人は、「自分がどの位置にいるのか?」ということを学ばない。
【欲求不満】という言葉は知っていても、
「じゃあ、この自分の欲求はなんなんだ?」
と、自分と向き合おうとしない。
常に、
「自分の欲求を満たして欲しい!」
ばかりのクレクレ状態のままなのだ。
そして、その位置にいる人は、「自分がどの位置にいるのか?」ということを学ばない。
【欲求不満】という言葉は知っていても、
「じゃあ、この自分の欲求はなんなんだ?」
と、自分と向き合おうとしない。
常に、
「自分の欲求を満たして欲しい!」
ばかりのクレクレ状態のままなのだ。
「イライラから抜け出したい!」
と、みんな言う。
しかし、このイライラの原因は何か?そもそもイライラとは何か?
という、勉強は全くしない。
勉強したとしても、勉強して終わりにはならない。
勉強して、「なるほど!」と思ったとしても、じゃあそれを、実生活でどう生かすか?となったら、また別の話になる。
知ったからといって、すぐに、上手くつかいこなせるほど、簡単ではないのだ。
そこで、初めて、わたしの助言が生きてくる。
と、みんな言う。
しかし、このイライラの原因は何か?そもそもイライラとは何か?
という、勉強は全くしない。
勉強したとしても、勉強して終わりにはならない。
勉強して、「なるほど!」と思ったとしても、じゃあそれを、実生活でどう生かすか?となったら、また別の話になる。
知ったからといって、すぐに、上手くつかいこなせるほど、簡単ではないのだ。
そこで、初めて、わたしの助言が生きてくる。
わたしは、よくある講座や、心理学など、その程度を教えているわけではなく、
『実践方法』を伝えているのだ。
『実践方法』を伝えているのだ。
ということは、自分と向き合わない(学ばない=知識がない)時点で、わたしの話を理解できない可能性は高くなる。
知識からだと、頭がパンパンになり、スパルタ指導に感じるだろう。
(脳が筋肉痛になるという現象だ。笑)
わたしのところに来るということは、『成長欲求』のレベルを目指すということ。
ということは、自分と向き合う気がなければ、怖くて来れないのは当然のこと。
なぜなら、
「自分が傷つきたくない」からだ。
わたしのところに案内されるのは、
「もう、あとがない。」
と、自分の直感を感じている方が、ほとんど。
だから、勇気と覚悟を持って、わたしの前に現れる。
最後は、結局、自分の直感になるのだ。
(つまり、自分を護るのは自分だということ。)
自分の直感を鈍らせないためにも、自分と向き合う訓練は絶対に必要なのだ。