土台づくりの重要性。


あなたは、日々、どんな世界で生きているだろうか。

何を見て、何をイメージし、何を目指しているだろうか。


現実は、イメージから始まっている。
何度も言うが、目の前の現実は、あなたの思考がつくりだしている。

あなたが、何を見て、何をイメージしているか、それがあなたの『意識』で、その意識が、現実をつくりだしているのだ。


ネガティブなことを見て、ネガティブなことをイメージしているなら、ネガティブなことを意識しているので、ネガティブな現実になるのは当たり前なのだ。

そういう人に、わたしがどれだけ伝えても、それをすべてネガティブに解釈(変換)し、行動するので、わたしとの会話は、噛み合わない。


それほど、人間の『想い』というのは強い。



巷では、いろいろな事が「明らか」になっている。
どんな情報を得て、どう解釈するか。


あなたが何を見ているか=情報
あなたが何をイメージしているか=解釈


あなたが、不安になっているなら、不安な情報が入ってくるだろうし、

あなたが、誰かのせいにしているなら、誰かのせいにするような情報が入ってくる。

あなたが、ラクして結果を出したいと思っているなら、ラクできそうな情報が入ってくる。


すべて、自分のレベルに合うようになっているのだ。



さて、
わたしのところに案内された方は、『土台づくりの重要性』を、スパルタ指導されているはずだ。

しかし、それを実践するか否かは、100%本人次第。

時間は、刻々と過ぎている。



茜の土台づくりの時から、わたしは、
「時間がない!」
と、話していた。


周りの人間関係や、お金など、目に見えるものは、一見、失っていった。それほど、環境がガラリと変わった。

それでも、わたしは、『土台づくりが優先!』だと、手を止めなかったし、茜も逃げ出さなかった。

目に見えるものが、厳選されたからこそ、集中できたのかもしれない。

そうでなければ、30年分の人生の土台を、3年でつくりなおすことは、できなかっただろう。




ここからは、少し難しい話になるが、


巷で、今、『弥勒の世の到来』と言われていることをご存知だろうか。

わたしの『時間がない』は、この話と合致したのだ。


『弥勒の世』がなんなのかは、ご自身で調べてほしいのだが、そういった時代の変化が、地球規模で起きている。
そして、世界中のいろんな方々が、同じことを話しだしている。


この時代の流れに、スムーズに乗っていくには、それぞれの土台づくりが必須なのだ。

土台づくりは、今日、明日でできることではない。

自分と向き合い、自分に何ができるのか。
自分さえ良ければ良いなどという狭い世界ではなく、自分も、宇宙規模の中の1つという自覚を持ち、どう共存していくか。

自分1人では、小さなチカラだが、手を取り、みんなのチカラを合わせれば、巨大なチカラになっていく。
(そんなことは、もういろんなアニメや漫画で、目の当たりにしてきただろう。あれこそが、『イメージ』なのだ。)


そういうことも、日々の土台づくりの中で、少しずつ少しずつ、できるようになっていくのだ。

頭で知っていても、実践できる人は少ない。
頭で知っているだけでは、「できる」ことにはならないのだ。

できるようになるには、コツコツと練習を重ねるしかない。
その練習が、習慣になっていけば、スピードも上がる。



わたしが、サロンを始めたのは、2015年11月。
そのときに、
『この先、10年は辛抱。』
と、メッセージがきていた。

今、最後の1年になっている。

わたしは、わたし自身へのメッセージだと思っていたが、どうやら、わたしだけのメッセージではなかったようだ。

2017年には、
『2020年から3年間、大きな過渡期になる。』
と話していた。これも、わたしや、わたしの周りの話かと思っていたら、世界的な話だった。

2023年には、
『2025年からは、だんだんと世の中が二極化していく。』

そして、弥勒の世の到来。
・・・


2021年、わたしの前に現れた茜は、中身のないハリボテ状態だった。

しかし、それは、単に茜だけの話ではなく、世の中を投影していたのかもしれない。

2021年・2022年・2023年の3年間、とにかく土台づくりを最優先にした。小さなことも見逃さず、石畳の隙間を踏み固めていくような、そんな作業だった。

これも、単に茜だけのではなく、世の中も、今、石畳の隙間に隠されていたモノ(コト)が、どんどん明らかになって、その隙間を踏み固められている。

2024年、茜は新たな世界への挑戦、新たな人間関係、そして信頼関係を築いている。
「時間がない!」の意味は、茜の年齢のことだけでなく、2025年ということも含まれていたのかもしれない。

世の中も、目に見えるモノを持っている者が盛者となるようなハリボテではなく、いかに、みんなで手を取り合いながら、循環していくか。

・・・

まるで、弥勒の世の到来までを、リハーサルしていたかのようだと、わたしは感じたのだ。


弥勒の世の到来までに、
自分の知らない人たちが、いろんな動きをしている。
わたしたちは、そんな人たちにも護られている。

自分に見えている世界がいかに狭く、知らないことだらけかということを、もう一度、認識してほしい。

そうすれば、自分に何ができるのかと、自分と向き合うしかないのだということに、きっと辿り着く。

あなたが、いくら、子どもや家族を見ているつもりでも、あなたがあなた自身とどう向き合っているか?の答えでしかないことを、自覚することだ。



時間は、刻々と過ぎている。