自分の目の前の現実は、自分の思い込みからつくられている。
これは、もう、その通りなのだ。
単なるスピリチュアルの話ではなく、
科学が進化すればするほど、それを説明できるようになっている。
あかりから、こんなLINEが来た。
「ヘビに追いかけられた夢を見て。最悪・・。」
わたしは、なるほど。と思った。
あかりは、先日もマルシェに出店していた。
まだまだ慣れないことも多いだろう。
そして、そろそろ、恒例の『しめ縄』の季節でもある。
※あかねオリジナルのしめ縄を販売!
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そこに、最近の寒暖の差も加わり、
ついに体調を崩してしまったのだ。
もちろん、彼女は、自分のカラダをちゃんと理解していて、体調にはかなり気をつかっていたと思う。
それでも、体調を崩してしまったからには、どうしようもない。
あかりも、
「休めと言われてるんだろう。」
と、受け入れていた。
しかし、
自分の体調のことは、受け入れたとしても、
周りの状況も、ポジティブに受け入れられるかは、本人の価値観にかなり左右される。
体調を崩したことで、予定のキャンセルが生じる。
そのキャンセルの連絡をすることは、誰だってストレスだろう。
「〇〇さんに、連絡しなきゃ。」
「キャンセルすることで、どう思われるだろう?」
そんなことが、頭をグルグルする。
その割合が、彼女の頭の中で大きかったのかもしれない。
その結果、『ヘビに追いかけられる夢』に繋がったのだろうと、わたしは分析し、あかりに伝えた。
これは、夢の話だが、
この分析を、あかりに伝えていなければ、
あかりは、キャンセルの連絡をした時に、
相手の、声のトーンなどを敏感にキャッチして、それをネガティブに解釈し、さらに落ち込んでいたかもしれない。
完全なポジティブ思考になることが、正しいわけでもはない。
ポジティブとは、ネガティブがあるから、存在することだ。
ということは、ネガティブも必要なのは当たり前のこと。
ただし、ネガティブなエネルギーは非常に強く、場合によっては、アリ地獄のように這い上がれなくなることもある。
だからこそ、
普段から、自分の思考(価値観)をどのポジションに持っていくか。置いておくか。
ということは、非常に大事になる。
自分の価値観がネガティブ寄りになっていると、目の前の様々なことも、すべてネガティブに解釈するようになる。
わたしは、小学生の頃は、忘れ物が多い子どもだった。
ついでに言うと、春夏秋冬の季節の変わり目には、必ず熱を出して休んでいた。
わたしの通知表(今の『あゆみ』)は、欠席日数がダントツに多かった。
わたしは、これを今でもネガティブには解釈していない。
小学生の頃の忘れ物は、その瞬間は困るが、どうやって穴埋めをするか?と、知恵を絞った。
だから、わたしが小学校の先生をしたときは『忘れ物調べ』というものを、した事がない。
なぜなら、忘れ物をした時点で、それを吊るし上げることに何の意味もないからだ。
忘れ物なんて、誰にでもあること。
それを騒ぎ立てて何になるのか。
本人が、ものすごく興味があるものなら、忘れものはしない。
興味がないことは、忘れものくらいするのが普通だ。
子どもは、わたしに、
「先生、〇〇を忘れました。」
と言いにくる。
わたしは、
「そうなん。じゃあ、どうする?」
と、尋ねる。
子どもは、
「うーん・・」
と考える。
わたしは、いくつかの選択肢を出してみる。
どうしたら、みんなと同じようにその時間、参加できるかを一緒に考える。
失敗したら終わり。
そんなのは、教育でもなんでもない。
学校教育を通して、
『どうやって、生きていくか?』
『どう生きるか?』
『どうあるか?』
という、土台の1つを積み上げるきっかけなのだから、
『失敗したあと、どうするか?』
こそ、必要な経験なのだ。
あの頃は(わたしが小学校の先生をしていた頃は)、
体育のときの、体操服の帽子を忘れただけで、ペナルティーが課せられたり、そのときの担任の裁量で、いろんな吊るし上げが生じていたのも事実。
帽子くらい、担任が幾つか準備しておけば済む話なのだ。
(大分は、赤白帽子なので、当時から100均にも販売していた。わたしはそれを何個か購入しておいて、忘れた子どもには、それを貸して参加させていた。)
目の前の人間が、忘れ物をして困っているのを、
「はい、ダメ!」
と、当たり前にペナルティーを課せて、それで、子どもには、
「思いやりを持ってほしい。」
と、言うのは、かなり都合の良い考えではないか。
わたしは、
小学生の頃、忘れ物が多かったからといって、
大人になって、忘れ物が多いわけではない。
小学生の頃、欠席日数が多いからといって、
大人になって、体調を崩しやすいわけではないし、
何も困っていない。
(よく寝たおかげで、身長も伸びたと思っている。)
今の子育て世代は、
子どもの頃のしょうもない忘れ物調べで、吊るし上げられた経験から、目の前のことへの解釈がネガティブになってる人も少なくないのかもしれない。
・・
だとするなら、一刻も早く、その呪縛から脱出することが、次の世代への貢献にもなる。
目の前の現実を、自分はどう解釈しているのか。
今一度、俯瞰してみてはどうだろうか。
これは、もう、その通りなのだ。
単なるスピリチュアルの話ではなく、
科学が進化すればするほど、それを説明できるようになっている。
あかりから、こんなLINEが来た。
「ヘビに追いかけられた夢を見て。最悪・・。」
わたしは、なるほど。と思った。
あかりは、先日もマルシェに出店していた。
まだまだ慣れないことも多いだろう。
そして、そろそろ、恒例の『しめ縄』の季節でもある。
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そこに、最近の寒暖の差も加わり、
ついに体調を崩してしまったのだ。
もちろん、彼女は、自分のカラダをちゃんと理解していて、体調にはかなり気をつかっていたと思う。
それでも、体調を崩してしまったからには、どうしようもない。
あかりも、
「休めと言われてるんだろう。」
と、受け入れていた。
しかし、
自分の体調のことは、受け入れたとしても、
周りの状況も、ポジティブに受け入れられるかは、本人の価値観にかなり左右される。
体調を崩したことで、予定のキャンセルが生じる。
そのキャンセルの連絡をすることは、誰だってストレスだろう。
「〇〇さんに、連絡しなきゃ。」
「キャンセルすることで、どう思われるだろう?」
そんなことが、頭をグルグルする。
その割合が、彼女の頭の中で大きかったのかもしれない。
その結果、『ヘビに追いかけられる夢』に繋がったのだろうと、わたしは分析し、あかりに伝えた。
これは、夢の話だが、
この分析を、あかりに伝えていなければ、
あかりは、キャンセルの連絡をした時に、
相手の、声のトーンなどを敏感にキャッチして、それをネガティブに解釈し、さらに落ち込んでいたかもしれない。
完全なポジティブ思考になることが、正しいわけでもはない。
ポジティブとは、ネガティブがあるから、存在することだ。
ということは、ネガティブも必要なのは当たり前のこと。
ただし、ネガティブなエネルギーは非常に強く、場合によっては、アリ地獄のように這い上がれなくなることもある。
だからこそ、
普段から、自分の思考(価値観)をどのポジションに持っていくか。置いておくか。
ということは、非常に大事になる。
自分の価値観がネガティブ寄りになっていると、目の前の様々なことも、すべてネガティブに解釈するようになる。
わたしは、小学生の頃は、忘れ物が多い子どもだった。
ついでに言うと、春夏秋冬の季節の変わり目には、必ず熱を出して休んでいた。
わたしの通知表(今の『あゆみ』)は、欠席日数がダントツに多かった。
わたしは、これを今でもネガティブには解釈していない。
小学生の頃の忘れ物は、その瞬間は困るが、どうやって穴埋めをするか?と、知恵を絞った。
だから、わたしが小学校の先生をしたときは『忘れ物調べ』というものを、した事がない。
なぜなら、忘れ物をした時点で、それを吊るし上げることに何の意味もないからだ。
忘れ物なんて、誰にでもあること。
それを騒ぎ立てて何になるのか。
本人が、ものすごく興味があるものなら、忘れものはしない。
興味がないことは、忘れものくらいするのが普通だ。
子どもは、わたしに、
「先生、〇〇を忘れました。」
と言いにくる。
わたしは、
「そうなん。じゃあ、どうする?」
と、尋ねる。
子どもは、
「うーん・・」
と考える。
わたしは、いくつかの選択肢を出してみる。
どうしたら、みんなと同じようにその時間、参加できるかを一緒に考える。
失敗したら終わり。
そんなのは、教育でもなんでもない。
学校教育を通して、
『どうやって、生きていくか?』
『どう生きるか?』
『どうあるか?』
という、土台の1つを積み上げるきっかけなのだから、
『失敗したあと、どうするか?』
こそ、必要な経験なのだ。
あの頃は(わたしが小学校の先生をしていた頃は)、
体育のときの、体操服の帽子を忘れただけで、ペナルティーが課せられたり、そのときの担任の裁量で、いろんな吊るし上げが生じていたのも事実。
帽子くらい、担任が幾つか準備しておけば済む話なのだ。
(大分は、赤白帽子なので、当時から100均にも販売していた。わたしはそれを何個か購入しておいて、忘れた子どもには、それを貸して参加させていた。)
目の前の人間が、忘れ物をして困っているのを、
「はい、ダメ!」
と、当たり前にペナルティーを課せて、それで、子どもには、
「思いやりを持ってほしい。」
と、言うのは、かなり都合の良い考えではないか。
わたしは、
小学生の頃、忘れ物が多かったからといって、
大人になって、忘れ物が多いわけではない。
小学生の頃、欠席日数が多いからといって、
大人になって、体調を崩しやすいわけではないし、
何も困っていない。
(よく寝たおかげで、身長も伸びたと思っている。)
今の子育て世代は、
子どもの頃のしょうもない忘れ物調べで、吊るし上げられた経験から、目の前のことへの解釈がネガティブになってる人も少なくないのかもしれない。
・・
だとするなら、一刻も早く、その呪縛から脱出することが、次の世代への貢献にもなる。
目の前の現実を、自分はどう解釈しているのか。
今一度、俯瞰してみてはどうだろうか。