『神』への紹介。


instagramの投稿「おみくじ」は読んでいただけただろうか。

 

あの投稿に書いていたように、おみくじでも、あんなようなことを書いていることに、わたしも驚きだ。

スピリチュアルは優しく、耳障りの良い言葉をもらえると思い込んでいる人も多いと思う。

しかし、そんなことはない。

が。おみくじでそれを証明されるとは。

 

2021年7月に、茜(門下生K)を連れて、とある神社に行ったことがある。

その時、わたしは、自分がこの能力を受け入れるときに、この神社にも助けてもらったと思っている。

その神社に、当時、特別コンサルを始めた頃だったのもあって、この神社の神に紹介しようと思ったのだ。

 

その頃の茜は、なんの知識もなかった。

神社の鳥居の意味、境内をかこむ川の意味。意味は決して1つではない。いろんな意味を持つ。

神社は決して、パワースポットでもない。

知識もなく行くと、知らず知らずにしっぺ返しに遭う。そのしっぺ返しは、神社の神からということでもない。

 

本来の神社の意味。そこに人間のいろいろな思惑も重なって、今の形ができている。

そんなことも知らずに、自分の利益だけで、毎月1日・15日に参拝したところで、成れの果てはすでに視えている。

バカの露呈も甚だしい。

 

 

その神社は神殿が複数あり、その当時はその中のどこに『神』がいるのかもなんとなくわかっていた。

(神は時に、フェイクを使うのだ。)

茜を連れて、『神』がいる神殿に行きついき、

「こんにちは。今日は、茜を連れてきたよ。」

と、隣で参拝している茜を紹介した。

茜は、そんなことは知らない。隣で、失礼のないように緊張しながら参拝していたと思う。

 

『神』は、ふと顔をあげた。ん?という感じで、わたしを視て、「どこ?」というような感じのリアクションだったので、

「この人。わかる?茜だよ。」

と伝えると、「ん?あぁ~なるほどね。」というようなリアクションだった。わたしは、

「よろしくね。」

と伝えて、参拝を終わらせた。

 

帰路について、茜が車から降りたときに一瞬だけ、決して大きくはないが、龍がカラダの周りにいたように視えた。

それは、エネルギーが可視化しているような状態だ。

 

次の日、茜からこんな話を聞いた。

 

「さっき、うとうとと寝てしまってたんよ。そしたらね、夢をみて・・。

何もない空間に、私がいてね。あぐらを組むようにして座ってるの。

で、その様子を、別の自分が客観的に見ているような目線もあって、どちらの目線もあるのよね。

そしたら、そこに大きな龍が現れて。もう怖いくらいで。

 

龍は、私の顔をじっと見て、

『イクエヲ、マモレルノカ?』

『イノチヲカケテ、マモレルノカ?』

と言ったんよ。

 

そしたら、座っている私自身が、

『全身全霊を賭けてお護りいたしまする。畏み畏み申す。(かしこみかしこみもうす)』

って言ったんよ!!

自分でもびっくりして。だって「かしこみかしこみ」なんて言葉、使ったことないよ?

 

そしたら、龍がじっとこっちを見て、

『シンジルゾ・・』

と言ったんよ。

 

そしたら普通さぁ、そうなったら、龍がスッと消えると思うやん?

消えないんよ!!

じーっとこっちを見たままで。顔も近いしさぁ。怖かったー!

龍は消えることなく、目が覚めたんよ。

30分くらい寝てたと思う。」

 

 

と話してくれた。この話は現在でも茜の脳裏に鮮明に記憶されているようだ。

神社の参拝での紹介からの流れだと、それはただの夢ではないと思った。

その龍が、どのレベルの龍なのかはわからないが、少なからず、わたしのことを知ってる存在なことには間違いない。

茜はその時から、ずっと視られているということだ。

 

今になって思うのは、わたしがその神社に行って紹介したことは「きっかけ」であり、茜の魂には400年前からその覚悟があったという証明だろう。

 

 

後日、その神社参拝のときのことを、思い出したときに、あることに気づいた。

・・

神社参拝をしても、人間の声はそこの神社の『神』聞こえていない。と言うことだ。

わたしは、幼い頃から会話をしている感覚があったので、当然ほかの人も同じだと思い込んでいた。

しかし、あの参拝の時に、茜も隣で参拝していたのに、あの『神』は「ん?どこ?」というようなリアクションだった。

ということは・・

 

世の中、いろんな霊能者が『神社参拝ツアー』をしている。

それも、その霊能者が自分の信者?をそこの『神』に紹介するということなのか?

そうでもしないと、神社の『神』に知ってもらえないから・・?

 

わたしは、その話を石畳乃癒のKさんにも話をした。すると、Kさんは、

「そりゃそうよ。人間の声が簡単に聞こえてるわけないじゃん。」

と、即答した。

そうか・・そういうものだったのか・・

 

 

 

神社参拝とは・・?

わたしは、それまでの自分の経験(体験)や、勉強したことを、もういちど整理した。

そこで行き着いたのは、

 

神社の神というのは、その土地や、さまざま自然のチカラを護る存在。

なぜなら、この土地、この自然環境があるから、わたしたちは生きていけるのだ。

それを護る存在の目に見える拠点として神社というものがある。

参拝は、護ってくれていることに感謝し、その拠点を維持する(守る)ために寄付(賽銭)をすること。

 

しかし、人間にただ「寄付をしてくれ」と言ってもすんなりとは出してもらえないので、いろんな工夫で現在の神社が維持されているということなのだ。

 

 

あの時、茜をその神社の『神』に紹介した。

その後、わたしは身近な人たちを神社に連れて行ったことがある。

そして、茜と同じように紹介してみようと思ったのだ。

茜のように、本当に龍と話すことができるのか。どうなのだろうと思った。

 

しかし。

参拝する時から、あの時とは違うのだ。

『神』がいないわけではなさそうだが、そこまで興味を示さない。

やはり、いろいろな条件が必要なのかもしれない。

もしくは、その必要もなかったのかもしれない。

 

(ただ、前世で茜の妹だったRには、一緒に神社に参拝した後、夢に龍が出てきたようだ。その時は、対峙するようなものではなく、一言アドバイスをするような内容だった。)

 

 

それから、「おみくじ」にも書いた通り、数年ぶりの、その神社への参拝。

一緒に行った友達のK子とは今年の4月に、14年ぶりに再会したのだ。

14年前のままのK子と、14年間でものすごいスピードで進化したわたし。

ここを説明するのに、一度神社参拝をしておいた方が説明がしやすいかな?とも思った。

 

その時に、一瞬『紹介する』ことがよぎった。同時に、「そんなことをしても意味がない」とも思った。

その一瞬のよぎりに、その神社の『神』がおみくじを通してわたしに本音を言ってきたのかもしれない。

 

いくら『神』紹介したところで、人間の心の状態が答えだ。

過去のブログ「スピリチュアルにハマったところで」にも、書いている通りなのだ。

 

茜ほどの「覚悟」がなければ、紹介したところで対峙もできない。

目の前に『神』が現れても、ただパニックになるだけのこと。

そんなことよりも、自分自身と向き合うことなのだ。

自分の中に『神』は存在する。

自分自身と向き合うということは、自分の中にある『神』と向き合うということ。

それができてから、その先のステージに行くことができる。

 

 

【困った時だけ神頼みする気か】

なんて、わたしが書いたのかと見間違うほどだ。笑