過去のブログの『再現性がない。』で、わたしのやっていることには、誰も真似が出来ないことを書いた。
では、何が、どんなところが、再現性がないのか。
それは、1つのカテゴリー(もしくはツール)に特化したものを提供する存在がほとんどの中、わたしは様々なカテゴリー(もしくはツール)を使う。
わたしのコンサルに、カリキュラムはない。
それは、人それぞれレベルもテンポも違う。経験も環境も違う。
それを、こちらの都合で、こちらのカリキュラムに押し込んだところで、そもそもが合わない。
だから、わたしはカリキュラムを作らずに、その人を視ながら瞬時に判断する。
さらには、
スピリチュアル系の活動は、そもそも再現性は低いと思う。(霊能力のレベルにもよるが。)
ただ、やっていることとして、
・メッセージを伝える
・除霊、浄霊、浄化などする
・問題を霊能力で解決する
というものが多いと思うが、わたしはこれでは不十分だと思っている。
なぜなら、その人(相談者)の覚悟が、ここにはない。霊能者の霊能力の方に目が行き、その人の人生のはずが、霊能者の人生にすり替えられている。
霊能者が霊能力を発揮することは、当たり前のこと。
それよりも難しいのは、人間が自分の人生に覚悟を持つということなのだ。
わたしは、メッセージも伝える。除霊や浄霊などもする。しかし、「霊能力で問題を解決する」ことは、しない。
アドバイスや選択肢は提示しても、問題を解決する主役は、当事者なのだ。
仮に、霊能力でその解決を解決したとする。
しかし、その人の人生はその後も続く。ということは、似たような問題も、その後も起こる。その度に、自分で解決せずに、霊能者を頼ることになる。それで、何の糧になるのか。何の成長ができるのか。
自分で解決できない問題を、「問題」と認識する。
自分で解決できる問題は、「問題」とは認識しないのだ。
ということは、今は、目の前の事を「問題」だと認識していても、解決した経験を持ち、解決できる術を得る事ができれば、次に同等な問題が起こっても、それを「問題」と大騒ぎする必要がなくなる。
その度に霊能者を頼ることが、解決策というなら、その霊能者がいなくなったら、また振り出しに戻ることになる。
この「振り出しに戻る」ことほど、時間を無駄にすることはないのだ。
そこに、気づかない。気づこうとしない。気づけない。
わたしは、ただ心の土台の話をするだけではない。そんなお花畑の話などは、大して意味もない。
その人が、今、何に困っているのか?その原因は?と掘り下げながら、その人ができることは何か?その人に必要な経験は何か?それを視ながら、提案する。
そして、常に、「伴走」している。
この「伴走」こそが、誰もができない、再現性のない一番の理由かもしれない。
コンサルの中では、部屋の片付けやインテリア、メイク、ファッション、ダイエット(考え方)、料理、家事など、本当に人生においてほとんどのことに網羅し、必要あれば提案する。
その人の経験、自信、トラウマ、コンプレックス、環境・・掘り下げれば、本当に1人1人違うのが当たり前なのだ。
カリキュラムがないため、期限もない。
すべては本人の覚悟次第。
わたしの霊能力次第ではないのだ。
(霊能者だって、なぜ人間に生まれたのか?そこに必ず理由がある。霊能力でどうこうするなら、何も人間じゃなくても良いし、人間じゃない方が、かなり都合が良い。)
この「伴走」が、
「いくちゃんは、寝るの?ご飯って食べるの?」
という疑問を、周りに生ませている原因の1つかもしれない。笑
何人もの伴走を同時にしながら、わたしの人間としての生活も同時進行している。
浄霊なども、いつも当たり前にしているが、それで特にどうこうもない。
基本的にはいつも笑っているので、何を考えているのかわからないのかもしれない。
その割には、(急に)的を射るようなことを言うので、周りは恐々するのかもしれない。
側から見たら、いとも簡単にやっているので、単にわたしを羨ましいと思ったり、わたしのようになりたいと思ったりする人は一定数存在している。
しかし、わたしは勧めない。
中には、実際に他人の人生に関わり、わたしのような振る舞う人もいるが、結果は100%心を病んでいる。まさに、ミイラ取りがミイラになるという状態。
なぜそうなるのか?
他人の人生に関わると、他人の人生を自分の人生かのようにすり替えてしまうからだ。
その人を思えば思うほど、「自分の考え」を押し付けてしまう。それが人間なのだ。それが人間の心なのだ。
つまり、他人のことばかり、理解してもうまくはいかない。自分のこと、自分の心を誰よりも理解しておかなければ、他人の人生に関わっても問題が大きくなるだけなのだ。
「あなたの事を思って言ってる!」
そんな思いなど、相手は求めていない。
わたしも、相手のことを思えば、「バカ」とは言わない。
相手のことを思って言うのではなく、わたしは、本当のことしか言わない。
わたしのコンサルに必要なのは、「愛」であり、「愛情」などの「情」は、大して必要ないのだ。