今年に入って、わたしのことも、わたしに関わることも、ぐっと変化した。
前回のブログ『再現性がない。』にも書いたように、わたしがやっていることは「ビジネス」からかけ離れている。
なぜなら、再現性がないからだ。心のコンサルティングでも、変化や結果の出るスピードはかなり速い。
それも、「わたしだから」できること。
スピードが速いからといって、決してラクではない。
要は展開が速いのだ。
やることはかなり丁寧というか、繰り返しの基礎基本の訓練が続く。
何事も量をこなさないと、上手くはならない。
似たような場面に、何度も何度もぶち当たっては、痛い思いをする。
それでも、瞬時に歯を食いしばって、また基礎基本に返り、訓練する。
自分の人生の武器にするのだから、習慣にしてしまうくらい量をこなしていく必要がある。
ごちゃごちゃ考えたり、意味不明に悩んでいるような無駄な時間なんて、もう必要がない。
わたしのinstagramの投稿「育てられたようにしか、育てられない。編」 にも書いているが、言い換えればバカはバカしか育てられないのだ。
心のコンサルティングを20年以上やってきて、大半の人は、親との問題がある。
もっと言えば、母親との問題がある。
わたしはそれを「母親の呪縛」と呼んでいる。
母親が、直接、影響するものもあれば、母親が選んだ男(父親)がバカで、その父親からの影響もある。
田舎は、わたしたちの親世代は、まだまだ男尊女卑の風習を平気で引きずっているところがある。
その風習に易々と負けたバカ女が、バカ男と一緒になって・・はい、バカがまた育ちました。って話。
そして、そのバカが、この時代に、無意識に男尊女卑の欠片を気にしてなのか、バカ男に易々と屈しては、またバカを育てる。
何にもしなければ、自然とバカは量産できる。
で、何が厄介か?というと、バカほど、自分をバカだと認めない。
なんなら、大きく見せようと薄っぺらい見栄を張りまくる。
そこには、結局バカしか寄ってこないので、バカコミュニティーが生まれ、さらにバカが量産される。
で。
そこまでバカに囲まれて、さぞ幸せなのかというと、誰一人、幸せではないのだ。
家に帰れば、バカ面がクソババアに変わり、感情のまま暴言を吐き散らす。
その汚物をかけられた子どもも、その暴言を平気で吐くようになる。
というのが、一般的。
だけど、それだけでは終わらない。ここからは十人十色。いろんなパターンが存在する。
そして、この親の呪縛は、何歳になってもずっと引きずるくらい厄介で、対策を取らなければ、おそらくほとんどの人が抜け出せない。
親が死んでも抜け出せないのだろうと思う。
いろんな事件が起こるが、根本的なところを深堀りすれば、ほとんどが親の呪縛に行きつくのではないか?とわたしは視ている。
親がどうだったこうだったという直接的なことは、実はどうでもよくて、自分に、親が提示してきた範囲以内の経験しかないということが、最大の問題なのだろうと、わたしは考える。
例えば、バカは他人の主張を平気で否定する。
子どもが「抱っこして。」と言っても「歩けるでしょ!」と言う。
会話になっていないのだ。歩けるとかどうでもいい。
今、抱っこしてほしいのだ。
抱っこできるのに、しない。
わけのわからない理由をつけて、しない。
どう考えても、バカでしかない。
「抱っこして。」と言って「いいよ。」と抱っこされることで、
・自分の主張が受け入れられた。
・自分の気持ちを汲み取ってもらえた。
・自分の存在は認められている。
というような「認識を経験する」のだ。
他にも、子どもが「痛い!」と言っているのに、「痛くない!」というバカもいる。
いや、お前はエスパーか?
そんなこんなで、バカに育てられ、自分もバカになると、
自分の子どもが「抱っこして!」と言っても、「わたしだって、しんどいんだよ!あんたの欲求に答える余裕なんてない!」と、子どもに対しても、自分の主張をしだす。
親がしたように、自分も素直に抱っこしない。
親のことは許せないくせに、自分の行動は正当化する。
結局、やっていることは、自分の親と何にも変わっていないのだ。
そこに全く気付かない。気付こうともしない。気付けるだけの価値観が養われていない。
もはや、親がどうこうの次元ではない。
何十年も生きてきて、その程度のことをクリアできない自分のレベルに、うんざりしないだろうか?
自分がこれほどバカだったのか・・と、今まで何をやってきたのか?と愕然としないだろうか?
この、自分に対して、うんざりだとか、愕然としたりだとか、その気持ちがあるなら、救いようはじゅうぶんにある。
ここで、もうわたしは・・みたいな気持ちが出てくれば、それは、自分の子どもの人生までも一緒に土足で踏みにじることと大して変わらない。
このブログをたまたま読んだ理由は、そういうことなのだ。
自分のこれまでの人生がどうあれ、これからの人生をどうするかは、すべて自分に懸かっている。
何度も言うが、
あなたの人生は、あなたのものだが、あなただけのものではない。
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