スピリチュアルにハマったところで。


「お前が言う⁉」って言われそうな題だけど、これ、本当の話。

 

「目に見える世界だけが全てじゃないだろうな。」という認識くらいでじゅうぶんなのが、わたしの思い。

 

「龍が見えるようになりたい!」っていう方も時々いらっしゃるが、いやいやそもそも目には見えないもの。時々、それが人間界にあるモノをツールにして現れることがあるのは確かだけど、それが見えたから、「だから、何?」という話。

 

そういうのが見えるようになったら、何か不思議なチカラが得られて、それで周りとは違う人間になれる!とかいう浅はかな、その人のレベルを視てしまい、こちらがなぜかガッカリ・・・。

 

見えたから、何?ただ、見てみたいってだけの話?それなら、わたしの『2つのストーリー』の中の写真に、龍が写っているので見てほしい。

 

⭐︎『2つのストーリー』→コチラ

 

龍が見えるようになりたい?んー。わたしも目に見えているわけではないので、それはよくわからない。

 

龍が見える!とか、龍がついてる!とか言ってる人でも、人の気持ちがわからない人は多い。いくら龍が見えたって、人間界で生きる以上は、大事な問題が解決していないということになる。

いくら神社参拝を一生懸命していても、人の悪口を言っているのであれば、根本的に何の意味も成していないと、わたしは感じる。

・・・

ていうか、こんなこと、子どもでもわかるし、子どもの方がわかっているくらいのレベル。

 

自分の利益にばかり目がくらむと、こんな事さえもわからなくなるのが、事実として起こっている。

 

わたしを含め、いろんな方がいろんな発信をしていて、それは最も自由なのだが、それにハマる必要はない。

「IQの低い人間ほど、スピリチュアルにハマる。」という研究結果も出ているのも事実。

IQのレベルが問題なのではなく、子どもでもわかるようなことすら「考えようとしない」ということに問題がある。

 

「これさえやっておけば!」みたいな記事もたくさんあるが、んなわけんるかぃっ!!

 

神はなぜ、むやみに「助けない」のか。

みんな、自分の都合よく考える。例えば、事故や病気や事件などで、人間が傷ついたり亡くなったりすることを、生きている人間は拒もうとする。そして、「助けてくれなかった」と神をも恨む。

だが、それも、人間に与えられた自由なのだ。自由なので、自分でどうにでも選択できる。神を恨むことも自由なのだ。

自分にとっては都合の良いことでも、誰かにとっては都合の悪いことだってある。

誰かにとって都合の悪いことでも、自分にとっては良い教材になることもある。

生きることだけが本当に幸せなのか?亡くなることは本当に不幸なのか?その解釈までも、神は人間に自由を与えている。

 

すべては、自分の人生を『自分で切り拓いていくため』であり、それは、すべて『自分が経験する』『自分で経験する』ため。なぜなら、自分が(で)経験しなくては、それは、自分の人生ではないから。自分で考え選択し行動するという基本的なことを死ぬまで繰り返す。そこにすべての本質がある。

 

神は、『自分を崇めよ』なんてそんなレベルで存在していない。

(あー、これも、いろんな人がいるからねー。難しいよね。)

 

ただ、神はたくさんいて、みんなが横並びではない。(これは、わたしがいつも話すこと。)

人間も、横並びではないのと同じ。神の世界も同じ。龍は神のエネルギー。ということは龍も、横並びではないということ。

 

犬だって、小型犬ほどキャンキャン吠えるし、大型犬ほど、そうそうは吠えないのが良い例。

人間も似たようなものだし、神も似たようなものなのだ。

 

タワーマンションや、大きなホテルをイメージしてほしい。

自分がいる階から、下の階は見えるが、上の階は見えない。そのため自分が、一番上だと錯覚を起こす。

魂レベルなどの『レベル』というのも、同じことなのだ。

 

霊能者といわれる人間も、決して完璧ではない。

 

いろんな占い師や、霊感のある人間を視てきたが、大体の人が嫉妬を持っているし、マイナスエネルギーも人並みにある。

わたしからしたら、「普通の人」なのだ。

(余計なモノまで叩き起こす人もいるしね。ま、いいんだけど。それも自由だし。)

 

 

スピリチュアルにハマったところで、本当の解決にはならない。

本来のスピリチュアルはそんなレベルでもない。

 

 

何を考え、何を選択し、何をするのか。そして、その作業を繰り返していくことに、人間としての使命があるのだ。