心の能力。


年が明けて、1か月が経とうとしている。

ここ数年にはなかった『流れ』『スピード』が戻ってきている気がする。

 

今年になって、Instagramで、子育てに特化した内容を発信しだした。

周りのアドバイスもあって、続けている。

 

内容は、わたしがずっと個人的に伝えてきていたことなので、特段、物珍しいわけでもない。

 

わたしも、わが子の子育てを経験して、特に、0~4歳の時期に、心育てがものすごく重要だと感じた。

特に長男は、新生児の時から自己主張がはっきりしていた。暑がりだし、まったく誤魔化しも効かないし、新生児のうちは、朝から夕方まで抱っこしっぱなして、わたしの両手首は腱鞘炎を起こした。激痛でも、赤ちゃんは待ってくれない。痛みに耐えながら、抱っこして思ったことは、

「こうやって、虐待は起こるのかもしれない。」

「こうやって、産後うつは起こるのかもしれない。」

と、世の中の母親に思いを馳せたのだ。同時にわたしは、この腱鞘炎の痛みを、『自分はこれだけ子どもと向き合ったんだ!!』という勲章にしようと決めた。

 

子育ては、自分との闘い。子どもとの闘いではないのだ。

 

 

わたしは、1人目を里帰り出産した。

わたしの親にとっても、初孫だ。

母親は、保育士をするほど子どもが大好きで、子どもの保育について論文を提出するほど、勉強熱心だったし、何よりも母自身が好奇心旺盛なタイプなのだと思う。わたしの従妹の子どもにも、毎月、こどもの友社の本を贈るほどだった。

自分の孫だから、どんなに楽しみだっただろうか。

父親は、20歳の頃から、牛の畜産業を続けている。それだけではない。牛の世話は、朝と夜に終わるので、昼間は製材所に勤めていた。そこが住宅関連のこともやっていたので、ボイラーの設置にも詳しく、ボイラーの不具合の電話があれば、すぐに飛んでいき、修理をしていた。(5000円になるので全く苦ではなかったらしい笑)また、家は代々農業もしていて、米、椎茸は、商品として作っている。家の野菜も作っているし、製材所をやめた次の日からは、今度は森林組合に入り、間伐の仕事をもらい、30日間の仕事を3日でやってしまうような、そんな働き者だ。父が42歳だったと思うが、牛の人工授精師の免許を取得するために、1か月講義に通い、その免許で今でも、畜産の仕事は健在だ。初孫を楽しみにする母とは対照的に、父は冷静だった。

牛も、いろんなお産がある。流産、死産、奇形、病気。。。人間とは違い、売れない牛は育てられない。。。その度に、いくら仕事とはいえ、かなり胸が締め付けられる経験をしている。

「生まれるまでは、何があるかわからん。」

「生まれてからも、何があるかわからん。」

と、言う時が何度かあった。

それに対して母は、

「何かあったら、それはそのときよ!その時、対応すればいい!」

と、構えていた。

わたしはわたしで、

「わたしの元に生まれてくるんだから、それ相応の覚悟で来いよ。」

と、心の中で言っていた。

人工授精師の父は、哺乳類の妊娠から出産までの知識がある。時々、わたしに、

「牛はのぅ、こうでああで、、、」

と、わたしに色々言ってくるのだが、わたしとしては、

「わたしは、牛じゃねーけど?」

と言わざるを得ないこともしばしばだった。すると、

「牛も、人間も、同じじゃ!」

と。。。そういうものか?笑

 

そんな出産前の日々を過ごし、いざ出産した。

(そういえば、出産前日に前駆陣痛が始まっていた頃に、当時のりえむしの人生の一大決心に関わる電話をしていたっけ?それだけ、わたしにとって、メンタルコンサルティングは、日常の中にあること。)

 

初産は、産後7日間の入院ののち、退院。もちろん、そのまま実家へ帰った。初めての子育てに、24時間気持ちが落ち着かない。もちろん、母親が食事を作ってくれることは嬉しいが、生活スタイルの違いや、母なりの思いを感じることも、いろいろがその時のわたしにはしんどかった。実家に帰ってから1週間が経ったと思う。長い長い1週間だったと今でも覚えている。

 

「自宅に帰ろう。」

 

そう思って、すぐに荷物を片付けはじめ、母に、

「わたし、帰るわ。」

と告げた。母も、

「あら、そう?」

と、受け入れたので、そのまま夫の運転で自宅に戻ったのだ。

 

生後2週間の、グニャグニャしている赤ちゃんと、本当の意味での、わたしの子育て奮闘の日々が幕を開けた。

まだ、へその緒も綺麗に取れていない、自己主張がはっきりしている赤ちゃんは、わたしを信じるしかなかった。わたしはわたしで、自分を信じるしかなかった。

新生児をベビーカーに乗せて、1人での買い物。わたしもまだ産後1か月も経っていない。それでも、この生活を選択したのは自分で、それに後悔はなかった。

 

母も、

「あんたなら、できるわよ。」

ってくらいの構えがあったのだと思う。

 

父も、

「なんでもやってみないとわからんからな。」

ってことだったのだろう。

 

わたしは、これまでの心理学の知識と、それまでの自分の経験、そして自分の直感をフル活用しながら、目の前の赤ちゃんと向き合った。体中の痛み、落ち着かない自分のメンタル、待ってのきかない赤ちゃんの要求。

「くそーっ!!」

と思いながらも、

「これが、一生続くわけじゃない!4歳までが勝負だ!!」

と毎日、自分に言い聞かせていた。

 

わたしは、心理学者や脳科学者ではない。しかし、必要な知識がないわけではない。そして、自分の直感も味方につけた。

ときどき、本屋さんにさっと入っては、育児書や、児童心理の本などを手に取り、パッと開く。そうすると、必ず必要な情報がそこには書かれていて、短時間でわたしの頭の中と答え合わせをしていた。

 

知能は、運動。

乳幼児期は特に、どれだけ運動したか。運動機能と知能は比例すると言われている。

これを知っていれば、家にいて、バウンサーに寝かせている時間がいかにもったいないかがわかるはずだ。

室内であれば、冬でも靴下は履かせない。手の指、足の指をしっかり動かし、感触をしっかり感じさせる。

知能と言っても、個人差は当然ある。わたしが言いたいのは、その子が生まれ持つ能力を最大限発揮させる土台作りが必要だということである。

 

そして、〈非認知能力〉

意欲・自信・忍耐・自立・自制・協調・共感という、【心の能力】のことを指す。

これを育てるのに最も適した時期が、乳幼児期。これは研究結果にも出ているし、わたしが子どもを視た時にも、『4歳までが鍵』だと疑わなかった。

IQなどで表せるものを〈認知能力〉と言うが、この能力を発揮させるには、〈非認知能力〉が必要なのだ。なぜなら、意欲や自信がないのに、どうやって勉強にやる気を出す?自制や協調ができるから、社会で助け合いながら生きていくものじゃない?

 

この、【心の能力】を軽視している、もしくはそもそもの知識がない大人が多すぎる。

子どもを産み育てることは、ものすごく素晴らしいことで神秘的なのに、その神秘的のレベルが低すぎる。

 

わたしも子育てをしながら、出会ったママさんはたくさんいるけど、ここをしっかり勉強して向き合っていたママさんに会ったことがない。

そのくせ、悩み事なら、もの凄く抱えていて、すべてのバランスが悪すぎる人間が多いことを痛感してきた。

 

もちろん、そのママさんたちも、おそらく【心の能力】に注視して育てられた記憶がないのだろうから、育てられたようにしか、育てられずに悩んでいるのだろうが、自分の親の子育てがどうだったかなんて、もはや今頃どうにもできない。親も、自分と同じように悩み苦しんだ挙句の果てだったと、客観的に分析するしかないのだ。(しかし、大半の人間は客観的に物事を見ることができないので、この理屈をどれだけの人が理解できるかはわからない。)

自分の親がどうだったなんてことではなく、今、自分がどうか?ということに尽きる。

 

わたしが子育てを経験して、15年が経つが、その間、・妊娠・堕胎・流産・出産・産後メンタル・子育て・発達障害・不登校・受験・ママ友関係・学校対応など、さまざまなパターンと出会ってきた。しかし、どれも、結局は大人の構え次第なのだ。知識も術も必要で、大人の価値観がどれだけ広いかが、ものすごく重要になってくる。この価値観こそが、【心の能力】なのだ。

 

これら、全てに出会い、経験してきたからこその発信なのだ。

 

 

もっと言えば、わたしは、大人の発達障害グレーゾーンがまわりにいて、ここでの『心育て』も、してきている。

グレーゾーンは、半数が、『後天性』の可能性が高いだろうと視ている。そこの大元は【心の能力】の発揮度合いだろう。

大人になってからは、至難の業だ。こんなことをしているのは、そして、できるのは、わたししかいないだろう。この術は、年間3億円の価値がある。

 

 

そんなこんなの中で始まった、わたしの『子育ては、心育て。』

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