自然界の出来事に、盆も正月もない。
記念日や行事というのは、人間の知恵の表れだ。
そういうものを作ることで、人間の喜怒哀楽という必要な感情をしっかり働かせることができる。
人間の喜怒哀楽は、神が備えた必要なもの。
すべてポジティブなもので大切に扱うもの。
大切に扱うということは、きちんとコントロールするということ。
そのコントロールをするのに、記念日や行事は役に立つ。人間の知恵だ。
さて、わたしは、2023年の後半に、いろんなことに気づいた。
わたしのメンタルコンサルティングを求めてア周りに人が集まった。
わたしはそれを『スタッフ』と位置付け、人間界では人間界の常識と同じことをしなければならないと思い込んだ。
メンタルコンサルをしながら、組織を作ろうとするのだが、この組織運営がうまくいかない。
うまくいかないどころか、ことごとくストップがかかっていた。
…これはどういうことか?
わたしは、わたしのやり方が間違っているのか?と、今思えば、かなり自分を追い込んでいたのだろうと思う。
わたしが目指すものと、彼らができることには、かなりの差があった。できないことをさせることは、メンタルコンサルにはならない。
わたしの優先順位の第一位は、常に彼らのメンタルコンサルだった。
組織運営は、わたしの問題だと本当に思い込んいたのだ。
しかし、年末にかけて、わたしの中で『強制終了』がかかったのだ。
わたしは、企業の人材育成をしているのではない。
人間とその魂の、人間育成をしているのだ。
その段階の人間に、わたしの元での『スタッフとして』という話は、到底及ばないのだということを思い知らされた。
お客様がわたしのサロンに求めているものは、特別なもの。
ファミレスに行くのとは、気持ちが全く違う。
ただバカ話して気が済むような、そんな気軽な場所でもない。
多くは、人生がかかっている。
それは、『スタッフ』も同じ立場なのだ。
『スタッフ』という位置付けのために、側から見れば、わたしと同じ立場だと見られていることもある。
これに対しても、本人たちはそこまでの(そう見られている)自覚は到底間に合っていなかったし、気づいたとしても、いきなり何かができるわけでもなく、急にレベルが上がるわけでもない。とにかく荷が重すぎる話なのだ。
『スタッフ』というからには、わたしからも「プロ意識」を求められ続けてきた。
プロ意識は、追求し続けることだ。
プロ意識という言葉は知っていても、どういうことか?という説明はできないのが現状だ。だからこそ追求しなくてはならない。自ら行動し足を運び「プロとは?」を追求していくことが必須。プロ意識とは、自ら学ぼうとしない限りは追いつかないのだ。しかし、この「追求する」というところまではなかなか行きつかなかった。
自らのメンタルコンサルに加えて、「スタッフとして」「プロ意識とは?」という課題には、かなりのエネルギーが必要なのだ。
わたしの元で『スタッフ』と位置付けたことで、彼らにも、しんどい思いをさせてしまった。
しかし、彼らはわたしの元から外に出た世界で居場所を見つけ、それなりの評価を上げながら、自信をつけている。それは、メンタルコンサルの集大成として本当に喜ばしいことだ。
2024年からは、彼らをわたしのメンタルコンサルティングの『門下生』という位置付けにする。
わたしは、わたしの組織を作りたいのではなく、彼らに「組織とは」という経験をする場を提供していたのだ。
わたしのお客様にも紹介をし、同席をさせてきた。これも、彼らの人生経験の1つだった。
それもすべて、メンタルコンサルが最優先だったからだ。
これからは与えられることを待つだけでなく、彼らが自力で培う訓練をし続けなければならない。
もうそのステージに来ているのだ。
わたしは、わたしのスピード、わたしが目指す方向に目を向け取り組んでいく。
わたしが目指すものは、わたしが体現するしかない。