世の中の、大半のお金持ちは、自力で成り上がっている。
お金持ちを知らない人間は、この「自力で」という言葉を、軽く甘くみている。
自力でお金持ちになったということは、お金の生み出し方を自力で見つけた人数だということ。
この、「生み出し方を見つけた」とは、決して、「魔法の泉を見つけた」わけではない。
生み出し方は、生み出せるから成立することで、例えば世の中の経済状況によっての影響は必ず受ける。
ということは、「生み出し方」を見つけたからと言って、安心している人間など、お金持ちの中には存在しない。
ましてや、お金のない人間に、無条件でお金を渡すことはない。
自分がやっとの思いで見つけた「生み出し方」から生み出したお金を、わけのわからない人間に、あげたりはしない。
投資というのは、投資した側にも利益があると見込めるから投資する。
利益の見込めない相手に、投資するというのは、やっと生み出したお金をドブに捨てるのと同じことなのだ。
お金がある人間が、お金に困っている人間に無条件でお金を渡すという姿は、自力で生み出し方も見つけられず、ただ、お金に憧れている人間の偶像なのだ。
もっと言えば、
お金持ちは、お金持ちに、お金を渡す。
なぜなら、渡したお金を無駄にすることはないと知っているから。
どんな思いで、このお金を生み出したのか、相手も理解しているから。
価値観が同じで、渡したお金を、のちに増やすための「増やし方」「生み出し方」を知っているから。
だから、お金持ちは、お金持ちとしか、付き合わない。
自力でどうにかしようともしない人間、借金だけを繰り返せても、自力で生み出せない人間とは、関わりたくないと思うのが、お金持ちの本音だ。なぜなら、そういう人間は、貧乏神でしかないからだ。
そういう人間は、人のお金だろうがなんだろうが、食い潰す。
自力で生み出すエネルギーがあるのか、ないのかなんて、3秒話せば、わかる。
貧乏神かどうかなんて、3秒で決まるのだ。
お金持ちは、そういう判断材料も、ちゃんと持ち合わせている。
お金持ちを知らない人間は、お金持ちの本当の姿を知らない。
そして、そんな人間が、お金をもらっても、なんにもできない。お金持ちにはなれない。
お金を得ることにしか着眼できない人間は、いつでも貧乏神になれる。
お金がなくても、自力でお金を生み出す「生み出し方」を見つけることはできるのだ。
「お金は後から付いてくる」というのは、
先に生み出し方を見つければ、あとは、そこから、お金が生み出される。ということなのだ。
こういう言葉の意味や、考え方といった価値観がない人間とは、関わらないのが、お金持ちなのだ。