想像力。


わたしの言う「覚悟」と、周りの人間の言う「覚悟」は、全く別物なのかもしれない。

と、思うことがある。よくある。


それは、例えるなら、

県大会止まりの人間と、全国大会上位の人間の差と似ているのかもしれない。


全国大会を知らない人間にとっては、きっと想像もできないことを、全国大会上位の人間は、日々の生活から当たり前に想像して過ごしている。


それは、社会人になっても同じで、想像力の差は、結果の差にもつながる。



最悪のことを考えて、万が一の場合の打開策まで考える人間はいるのだが、


その「最悪」「万が一の場合」の想像力がそもそも乏しければ、結局は、「そこまで考えていなかった」ということになるのだ。


経験値が高い人間と、低い人間では、この想像力に根本的な差が生じる。

そのため、肝心なところで、噛み合わなくなる。


噛み合わなくなるからこそ、噛み合える似たような人間同士が集まるようになる。



経験値の高い人間の話を聞いても、自分の経験値の範囲でしか想像できていないのだが、それが想像の域に達していないということすら、気づかないという事実が生じる。



こんなことを何度も何度も繰り返していても、また、わかった気になって話を聞いているのが、ほとんどだ。


なぜなら、「わからない」自分を受け入れるつもりがないから。

バカにされたくないだの、できない奴だと思われたくないだの、つまらない保身のために、また無駄な時間を過ごすことになる。



できないこと。できていないこと。

それは事実なのだ。

そこに、バカにされるだのなんだの、そんなことを、貼り付けることが、もう想像力の乏しさを表している。


できない。できていない。

をその場で認めれば、3秒で終わる。

そして、4秒後には、

「教えてください」

「確認させてください」

と、その次の一歩を踏み出せる。


これが、ほとんどの人間は、

できない。できていない。

をその場で認められずに、3日を費やす。



これだけでも、雲泥の差だ。

この3秒と3日の違いにすら気づかず

一生を終える。



できない。できていない。

だから、どうするのか?



想像力とは、こういうときに生かされる。