誰にだって、【刷り込まれた価値観】(パラサイト)は寄生している。
それは、自分自身だけの問題ではなく、パラサイトを植え付けられたことによる原因もある。
過ごした環境による価値観・選択肢・思考の構成は顕著。この「過ごした環境」にほとんどのパラサイトは存在する。
かつあき先生ブログ『嘘とパラサイト。』は、読んでいただけたかしら?
あのブログを読んで、単にかつあき先生を批判する気持ちになった人は、そうそういないのではないかと、わたしは思う。
なぜなら、あの程度のことは、日常茶飯事のはずだから。
ほとんどの人が、人の批判だけは簡単にする。
そして、「自分とは違う」「こうはなりたくない」と自分を擁護するのよ。
でも、あのブログを読んだ方々は、きっとそうは思わずに、自分と照らし合わせながら、自分の問題として考えながら読んだのではないかと思ってる。
わたしは、自分に必要ないと感じたものは、冷酷なまでに絶つことができる。
それを知っているわたしの周りの人たちは、今回こそは、そこに1番ドキドキしたと思う。
今回は、わたしも、さっさと断ち切ろうかしら。って考えたわ。
その方が、お互いのためなんじゃないかと思って。
彼が嘘をついてきたことは、わたしにとっては、悲しいものだったけど、本人にとっては必要な嘘だったと仮定して考えたら、どちらかに歩み寄る必要なんてないんじゃない?って。
お互いに、自分の人生をよりよく開拓していく必要があるわけで、本人が必要だと思っているものは大事にした方がいい。
そんな客観的な模範回答を盾に、これから先を過ごそうと考えながら、久しぶりに本屋さんに入ったの。
なにか雑誌でも、面白そうなものがないかしら?
と思いながら、店内をウロウロしてたのだけど、特に惹かれるものもなく、まぁいいや。とお店を出ようとした時に、出入り口にあった本の背表紙に、ふと目が行ったのよね。
[発達障害グレーゾーン]
わたしの周りも、このグレーゾーンが多い。
しかも、わたしは先天性ではなく、後転性が多いとずっと感じている。
それこそ、環境によって(原因で)症状があらわれているのではないか?ってね。
わたしは医者ではないから、診断はできない。
だけど、わたしの中での仮定(仮説)は持つことはできるわ。
頭の中で考えられるさまざまな仮定を並べて、照らし合わせながら、その人を視る。
それは発達障害に限らずよ。その人の魂にだけ、本当の訴えがあるわ。
それを20年以上やってきて、わたしなりの仮定があるのよ。
この本を無視できずに、そのまま手に取ってレジに持って行ったの。
会計を済ませて、そのまま、本をパッと開き、そのページを読みながら歩きだしたのよね。
たまたま開いた30ページ目。この30ページ目からから33ページ目に渡って書かれていた内容がが、わたしに訴えるもの。それは、2年前の最初の頃を思い出させるものでもあったわ。
読みながら、涙がポロポロこぼれ落ちる。
≪グレーゾーンは、愛着や心の傷を抱えたケースが多い≫※p31より引用
かつあき先生も、ここに書かれている内容に属するのよね。
先天的なものもあるかもしれない。でも、この2年間一緒に過ごしていて、先天的な部分はそんな問題になるようなレベルじゃないのは確か。
かつあき先生の行動には、どれも心情的な説明がつくのよ。
嘘をつくことが、良いことなのか悪いことなのかそんなのわからない。状況や立場や理由なんて1つじゃない。
『嘘をついた』のは、結果よ。それには理由があるわ。理由に良いも悪いもないのよ。だって、それこそがその人の価値観だから。良いか悪いかの基準の1つとして法律や決まりがあったりもする。でも、それは結論に対してのこであって、理由までも裁くことはないのよ。
殺人事件でも、情状酌量がつくことだってあるわ。てことは、法律(決まり)自体は結論に対することであって、理由を制限することはないのよ。
なぜ、わたしに嘘とつかないといけなかったのか。嘘をついてまで、それを続けなければならなかったか。
そこの理由が、答えなのよ。
その理由の原因となるものは、すべてかつあき先生の過去に起こっているのよね。
それを視ると、涙が次々と留まることなくこぼれ落ちる。
生きづらさなんて、人それぞれ。本人が生きづらいと感じているものに良いも悪いもない。
レベルが軽いだとか重いだとか、そんなことを考えたって、なんの意味もない。
「自分を変えたい」「過去との決別をしたい」
それは、魂の覚悟よ。
でも、今のかつあき先生には、自分の魂までもの覚悟が足りなかったのも事実。
そりゃそうよ。そこまでの覚悟をした経験がないのだから。
自分の物差しで「こんなもんだろう」と、図るのがほとんどだわ。
今までの経験もすべて、自分の物差し。その物差しは何が基準?過ごしてきた環境での価値観が基準。てことは、自分の物差し自体が、パラサイトだという可能性が高い。
わたしは、魂の叫び(本音)も視ながら、目に見える本人の価値観も視てる。
本人の価値観から、パラサイトが見え隠れするのも、全部視ているのよ。
だからって、その人が幸せならそれでいいし、わたしから、わざわざ余計なことを伝えることはないわ。
ただし。
わたしの領域に入ってくるなら、わたしはそのパラサイトを許さない。
それだけのことなのよ。
かつあき先生の他に、これまで特別コンサルをしてきた12人は、わたしの領域にまで入ってくることはなかった。
一定の距離感で進めたわ。かつあき先生以外のスタッフだって同じ。
言い換えたら、わたしの領域に入るなんて「飛んで火にいる夏の虫」状態だから、ちゃんと身を守っているのよね。
後にも先にも、わたしの領域に入ってくるのは、かつあき先生だけだと思う。
だったら。
わたしの領域のわたしの土俵で相撲をとるなら、そりゃこうなるわよね。
それから、わたしがかつあき先生にどんな話をしたか。
その一部は、かつあき先生のブログに書かれているから、ぜひ読んでみてね。
わたしの話、わたしとの話(会話)によって、わたしは再び、かつあき先生をマネージャーとしてそばに置くことを決めた。
でも、わたしの気持ちは今までで一番、晴れやか。
本人の中のパラサイトが、ようやく顔を出して、本人との直接対決ができるレベルになったと思っているから。
だからって、もう何も起こらないなんて、そんなことも思っていない。
心はそんな簡単なものじゃない。
問題が起こらないようにすることばかりに気を取られるのではなく、問題が起きても、その都度しっかり向き合う準備ができていることも大事だと思うから。
わたしの価値観を押し付けて、わたしの都合の良いようにコントロールしても、それはまた、わたしのパラサイトを産み付けるだけだから。
わたしの周りは『難あり』が多い。(『難なし』なんてこの世に存在するのかしら?(笑))
それでいいのよ。その人たちを相手にすることを稼業としているのだから。
めんどくさいことなんて山ほどある。それが日常。だから、めんどくさいことが「嫌」だとは言ってないのよ。
めんどくさいことを、めんどくさいなーと思いながらも、当たり前に向き合って、魂の反応や、本人の変化を視るのが楽しいのよね。きっと。
スピリチュアル系の人は、「バカ」「クソ」「クズ」なんて言葉を言わないと思っている人が本当に多いけど、そんなわけないわ。
真剣に向き合って、自分の気持ちをぶつけるのに、綺麗事なんて邪魔でしかない。綺麗事は、どうでもいい時に使うものよ。
感情を揺さぶられて、感極まるという極限のところまで追い詰められなきゃ、自分の本音が何なのか、自分でもわからないままになるわ。
『嫌』なことは、徹底して『嫌』だということを自分が理解しておかないと、「この人は良いけど、あの人は嫌」とか、あーだこーだと、条件付きの中途半端な感情しか持てなくなってしまう。そんな人が、生きやすいわけがないからね。
Instagramの @mental_physical_therapy が、かつあき先生が担当するアカウント。
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