小説よりも奇なり。『2年。』


こんにちは。
かつあきです。


すっかり季節は春ですね。
春はいろいろと芽吹く季節。
変化が顔を出す時とも言えるのかもしれません。

私がいくえさんと初めて会ったのも、2年前の3月でした。それからたった2年で、たくさんの奇跡が起きました。

自分だけでは20年以上もの間を、平気で棒に振ってきたような人生でしたが、同じ時間でも、こうも違う過ごし方になるのかと、日々感じます。


いくえさんは、1年前の自分の様子が思い出せないと言います。私の様子は思い出せるそうですが、自分の様子は思い出せないそうです。
それだけ私の人間形成に集中していたのかと思うと、言葉がありません。

それでも未だに、自分がイラついたら、心にもない言葉を平気で投げつけます。
もう2年も経つのに、まだまだそれが私の現状です。
頭ではわかっている「つもり」ですし、わかっている「はず」なのです。なのに、現状はそうなのです。
いくえさんはそれを『上っ面』だと言います。
わかった「気」になっているだけ。悔しいですが、そう言われても仕方ない。なぜなら、事実がそうだからです。
そして、
「あなたは、もう土台づくりの段階は乗り越えた。だからわたしは、一切、そんな抵レベルを受け入れない!」
と言われ、悪態をつく私は、制裁を受けました。

どんな気持ちでこの2年間を過ごしてきたのか?
しんどかったのは、自分だけなのか?
私は、未だに何をやっているのだろうか?
私が本当にやりたいことは、こんなことなのか?

自分の情けなさが、心にカラダに痛みとなって残りました。



巷では、WBCが大盛り上がりでしたね。
過去に野球をかじった者として、観るのは楽しいです。
誰が活躍しただの、あーだこーだと、気楽に口走りますが、
いくえさんにポロッと言われたのが、
「その選手と同じ年の自分は、何をしてたか思い出すといいわ。」
ということです。私はドキッとしました。

「4番の選手、23歳でしょ?自分が23歳の時、何を背負って生きてた?彼はどんな気持ちで日本を背負ってると思う?だいたい自分が23歳の時に自分の人生すら背負ってる自覚があったのかすら、どうなのか知らないけど。」

と、目を合わせずにツラツラッと言われた私は、何も言えませんでした。

まだこんなところでも、自分の価値観を基準にして、それを選手と同じ気持ちだと思い込み、それがあたかも正しいかのようにペラペラ喋ってる自分が恥ずかしかったです。

目には見えない舞台裏で、どんなことが行われているのか、そこに至るまでにどんなドラマがあったのか、まだまだ私は想像力に乏しいのだと感じました。




先日、いくえさんの高校時代の先輩の方と、当時のコーチの方が、サロンにお越しくださいました。
高校時代の話は、いくえさんから少しだけ聞いていましたが、その話が本当だったのだと答え合わせができました。
余計なことは喋らず、どこか緊張感がある雰囲気も同じでした。
日本一を獲った人というのは、こうも違うのかと、再び思い知らされた時間でもありました。




3月の座談会は、サブタイトルが『奇跡との付き合い方』でしたが、目の前の奇跡を、自分がどう受け取っていくか。
それって、この特別メンタルコンサルティングにも通じる内容でした。


「奇跡は決して特別ではない」
といういくえさんの言葉を、どう受け取るか。
それだけでも、この先の人生がどの方向に向かうのか変わってくるのだと感じました。



2月から、座談会をはじめ、1day講座といったイベントもスタートしましたし、施術内容も変わり、整体メニューは[メンタル&フィジカルセラピー]として、リスタートしました。

4月からは、[クィックセッション]も開催します。
セラピスト養成講座も、受講生を募集しています。


すべては、求められるものと与えるもののバランスを考えてのことです。


これだけ、このブログでもいくえさんの事を話したら、いくえさんに会ってみたい、話してみたいと思うと思います。
中には、怖いもの見たさ程度の人もいるかもしれませんが、それでも「どんな人なのか」と興味を持つ人が大半だと思うのです。

そして、いくえさんは、
「一度会ったら、また会いたくなる。」
という不思議なチカラを持っています。


そんな思いにお応えしていくためにも、こういったイベントを、やって行こうとたどり着いたのです。


イベントにしろ、施術にしろ、それは、いくえさんと、話すためのツールなのです。

何気ない会話でも、メンタルセラピーや、メンタルコンサルティングになっているのです。ジャンルは問いません。


私も常に随行していますので、ワンクッションの役目も担っています。

ぜひ、お問い合わせください。