小説よりも奇なり。『それから』


 この特別コンサルは、ここで書ききれないほどの内容を過ごしてきました。このブログにも書いた通り、いくえさんは『本当のこと』を言います。真正面から、私が突かれたくない部分にも、例外なく突いてきます。

 

 私は私で、心は8歳の状態からのスタートでしたから、いくえさんの言葉が理解できなかったり、物事を思慮深く捉えられなかったり、本当に大変でした。

 

 何よりも、私はそれまでの人生で「反抗期」がなかったわけですから、8歳からスタートしたこの特別コンサルの時間の中で、反抗期を迎えたわけです。

  実年齢と精神年齢、そこに自分をどうコントロールしていいのかわからない状態。とても記事には書けませんが、簡単に言うと、いわゆる傷害事件のようなことも、起こしてきました。しかし、何が凄いかというと、そんな状態になっている私に、いくえさんは怯むことなく、真っ向勝負してくるのです。何度でも何度でも。

 

 私も身長は180オーバーですし、力もないわけじゃない。そんな私が暴れる中で、いくえさんは、さらに暴れます。文字通り、本当に『掴み合いの大喧嘩』をやってきたのです。

 

 本当なら、私が10代のうちに済ませておかなければならなかったことを、この年になって、経験してクリアしたのです。この事実は、良いとか悪いとかではなく、私にとっては『奇跡』なのです。

 

 いくえさんは、嘘を嫌います。嘘が悪いというのではなく、いくえさんに嘘をつくことは、いくえさんにとってもとても都合が悪いのです。

 

 私は、それまでたくさんメッキを張り巡らせてきました。ということは、たくさん誤魔化してきたとも言えます。

 その習慣がすぐには改善することはなく、いくえさんにも、気付けばたくさん誤魔化していました。いくえさんには、不思議と『必要な情報が入る』ようになっていて、私の誤魔化しが事実と異なることが判明するのです。その度に、私はいくえさんを傷つけて来ました。

 

 この特別コンサルは、何のためにやっているのか。もちろん私自身のためであり、私が望んだことです。いくえさんからも、

 

「とてもしんどいことだから。無理はしなくていい。やめたくなったら遠慮なく、そう言って欲しい。」

 

と、何度も何度も言われていました。理屈は理解しています。私は是が非でも途中リタイアなんてするつもりはありません。ですが、自分がしんどくなると、まるで自分だけが傷つき、自分だけがしんどいように思えてくるのです。

 だけど、実際は、私と同じように、いくえさんも傷つき、しんどい思いをしながら、私の人生を一緒に歩んでくれていたのです。

 

 何度、彼女の泣き顔を見てきたでしょうか。その半分以上は『私のため』に泣いてくれたのです。私を責めるために泣いているのではなく、私の気持ちを理解したときに、まるで私の心の状態を映し出したように。

 

 私も、それまで泣くことはほとんどありませんでしたが、魂と魂のぶつかり合いというものを体感したときに『琴線に触れる』ということの意味を知った気がします。

 

 

 みなさんは、近しい存在の人が「変わろう」としたときに、素直に応援できますか?

 もちろん、変わりようにもよると思いますが、明らかに成長しようと努力しようとする友人や家族に、どういう言葉かけをしますか?

 

 この特別コンサルが始まって、もの凄いスピードで私が変化していったように見えたのかもしれません。ですが、それには私自身の納得と努力の先に、私の価値観が広がったからこその事実なのです。

 

 ですが、私の周り人たちは、私が変わる(価値観が広がる)ことを嫌いました。彼らにすれば、私が変わる(価値観が広がる)ことは都合の悪いことだったのかもしれません。

 逆を言えば、いつまでもメッキを張り巡らせては、ちゃらんぽらんな私が、都合が良かったのかもしれません。

 それまで味方だと思っていた存在が、私が変わる(価値観が広がる)ことを受け入れず、牙をむいてきた事実は、人間の心の一面を知った事実でもありました。

 

 

 そのままの人生でも茨の道。新たな人生もまた茨の道。

 人間の脳は変化を嫌うそうです。成長とは変わることですが、脳はそれを嫌うそうです。 

相反する条件の中で、成長するには『変化を受け入れる勇気と覚悟』が必要なのだと、この1年で何度も何度も目の当たりにしてきました。

 

 

 そして、価値観が広がれば、同じ景色でも違って見えるのです。