それから、3度目のことだったでしょうか。
いくえさんは、ついに私の核心に迫ってきたのです。
「あのさぁ・・・。
死にたいと思ってるでしょ。」
え・・・
「もうどうでもいいと思っているでしょ?
高校卒業して、今まで、人並みにいろんなことはしてきたのかもしれない。
でも、それが、何一つ、あなたの中で糧になってないんよ。
わたしからすると、あなたのこの20年は、真っ黒な空洞にしか視えない。
本当に、ここまで糧にならないことがあるんだな。
と、わたしもビックリしてる。」
いくえさんは、淡々と私に言葉を投げかけます。
私もそれを聞き入れるのです。
まだまだ話は続き、
「たぶんね、早くてあと5年だね。
まぁ、自分から死のうとするのか・・・
もし、そこで死にきれなかったら、10年後かな。
50代に入ったら、たぶんなんか病気かなぁ?
まぁ、死にかけてるね。」
ここまで言われて気づいたのですが、私はこの話を聞きながら、
「あ。そうかも。」
「死にたかったのかも。」
「もうどうでもいいと、確かに思っていたかも。」
と、自分の中の自分に話しかけていたのです。
さらに、彼女は続けます。
「初対面の時ね、思ったのよ。
『この人、わたしのことを知ってるはず・・・』って。
あなた、たぶん前世、女の子だったと思うよ?
たぶんね、遊女だったんじゃない?
でも、花魁にはなれなかったね。
そんな環境の遊女でもなかったはず。
待遇の悪い環境にいたと思うなぁ。
わたしの『2つのストーリー』読んだ?
あの中で、『高尾は、妾から、博多の遊女街に追放される』ってあるんだけど、たぶんそこで、わたしを見てるんじゃないかな?
だって。じゃないと、普通に考えておかしいでしょ。
初対面の時から、わたしのことを100%信用してる。
わたしのことを知らなきゃ絶対にそんな思いにはならないもん。
それから、今でも、あなたの心?魂?は、
半分女の子だと思うんだけど・・・。
わたしには、女の子にしか思えないんだよね。
もちろん、性対象は異性だと思うよ。
なんていうのかなぁ。脳が。というより、心?魂?の部分なんだよね。」
私は、ハッとしました。
そう。私はどこか女性だと、幼いときから自覚があったのです。
でも、両親にも言えなかった・・・
小学生の時に、父親に「ピアノを習いたい」と言ったのですが、私の言葉に食い気味に
「いいか。男たるものは、野球をするものなんだ!!!」と、父親に言われたのです。
あのときの、私にとっての『人生』に対する諦めは、凄まじいものだったのかもしれません。
さらに、
「でね、初対面の時、3時間くらい話したでしょ。
わたしね、会う前からあなたのインスタグラムを見て、あなたの顔は見てた。
そのときから、あなたのことは、『見せかけの見栄っ張りな生き方しかしてない』と感じた。あなただけじゃない。あなたの環境が全部そうなんだと思った。
悪いけど、わたしはそんな環境の人と関わることなんて御免だから、しょうもない話に付き合って、はい、さよなら。と思っていたんだよね。
でもね、2時間半が経とうとしていたときかなぁ。」
・・・私も、その話に聞き入りました。
「・・・あなたの魂がね・・・。
あなたの魂が、急にわたしの両腕を掴んで離さないんよ。
わたしの両腕を掴んで、
『こんなんじゃダメなの!!』
『生きなきゃダメなの!!』
『助けて!!』
って。
・・・今でもずっと掴まれてるんだけど。
わたしは気づかないフリをしたのよね。
でも、3時間経ってあなたが帰ろうとしたときに、わたしは、あなたの腕を掴んで『よく生きてきたね』と言いたかった。
そう行動に移そうかと思った。でも・・・
『いやいや、コイツどうせ死ぬしな。
死にたいと思ってるんなら好きにすればいい。知ったこっちゃない!』
と思って、やめたんだよね。(笑)」
・・・笑えなかったです。
でも、わかったのです。私は死にたいと思ってた。
でも、それは生きたいからこそ、
死にたいと思っていたということに。
「わたし、今まで10人以上の特別コンサルをしてきてるんよ。
無償で。なぜ無償か?って、金額にしたら年間3億円の値段をつけるよ。
でもね、3億円を請求しても誰も支払えない。
じゃあ、支払えないから、やらないのか?
そういうことじゃないと思うんよ。
誰も支払えないかもしれないけど、
わたしは3億円の価値があると思ってやってきた。
わたしがやりたいとかでもない。
だって、わたしになんの報酬もないし。
自分の時間を四六時中、その人のことに目を向けるわけよ。
わたしの生活もある。
その生活も維持しつつ、他の人の人生にも関わる。
そんなこと、わたしの他に誰ができる?
でも、やらないといけないと思ってやってきた。
だから、少なくとも関わってきた人たちは今も元気に生きてる。
みんな、死のうとしていたんよ。
それでも、今は心から生きることを選択してる。」
いくえさんの言葉には、偽りなど微塵も感じませんでした。
それどころか、どこか怖さを覚えたのです。
その日の夜、
いくえさんの両腕に、本当に掴まれたようなアザができていました。
写真で見せてもらいましたが、私も疑いませんでした。
とある日、
いくえさんが、私の施術を受けに来ました。
私は緊張のあまりに、ソワソワしていて、
地に足がついてない状態を再現しているかのようでした。
整体を受けたあとに、いくえさんが私に、
「あなたの施術は、凄いかもしれない。
あなたにしか出来ない施術だと思う。
今までわたしも、いろんな施術を受けてきたけど、この感覚は初めて。
特に、首を触った時の、あなたの手は本当に凄いと思った。
そりゃあ、あなたのファンはたくさんいるだろうね。
これで4,000円なんだから。」
私はとても嬉しかったです。
自分の施術を真っ向から認められた気がしました。
ですが、最後の料金のところが、やけに頭に残ったのです。
さらに後日、
いくえさんは、私にこう話したのです。
「わたしは、前に『あなたの20年間が空洞』だと話したけど・・・。
いや、あなたは8歳の時から、何かが止まってると思うんだよね。
8歳の時に何かあった?」
・・・8歳?
あ・・・。そうだ。私は、8歳から野球を始めたのです。
野球を始めて程なく、前述した『ピアノ』の件もありました。
私がやりたいと思うことが通ることは一切ない。
それが私の生きる道。
そう8歳の私は悟ったのだと、今ならはっきり言えます。
いくえさんに、私の思いを全部話しました。
いくえさんが私に、
「アダルトチルドレン(AC)って、知ってる?」
と聞いてきました。
私は知らないと答えると、
「ちょっと、調べてみて。」
と。
自分の携帯ですぐに調べました。
・・・
すべて当てはまっていて、ビックリしました。
いくえさんは続けます。
「たぶん、あなたはアダルトチルドレンの要素を持ってると思う。
それから、おそらく少し、発達障害の部分もあるかな。
わたしは医者じゃないから断定はできないけど、傾向はあると思う。」
いくえさんが、発達障害に関する本を見せてくれました。
指定されたページを読んでみると、まさに当てはまります。
でもこれは、実は自分でも自覚があったのです。
授業中じっとしていられなくて、本当に大変でした。
目に入る、耳に入る、そういう感覚的なものがあるとそればかりに気を取られ、集中できなくなる。
私はそれを周りに気づかれたくなくて、大人になっても、ずっと自分をごまかしてきたのです。
いくえさんが、
「発達障害は、きちんと学んで、きちんと把握していれば、その特徴を生かして社会で活躍することができる。
でも、まだまだ、保護者にその知識が乏しい。
だから、子どもの才能も摘み取ってしまう。
子どもの才能を生かすも殺すも親次第。」
と、話したのを聞いて、納得しました。
そうです。私も含めて、勉強しないのです。
大人になると、平気で勉強しません。
さらに、私はお酒を毎日、浴びるほど飲んでいました。
そのきっかけも私の環境にありました。
その環境が精神的な虐待に繋がっていたことを
私は知らなかったのです。
いくえさんが、
「うーん。。。8歳からだと30年かぁ。
30年の時間を取り戻さないときっとあなたの魂は磨かれない。
正直、わたしは乗り気じゃないんよ。
30年分よ?面倒くさい。
だけど・・・どうする?」
この、「どうする?」ほど怖い言葉はありませんでした。
なぜなら、それまで私は「諦めていた」からです。
考えることなどしていなかったのです。
考えるフリをして、周りの言いなりでした。
「どうでもいい。」
ただただ、ちゃらんぽらんに生きることしか私にはできなかった。
だけど、馬鹿にされたくなくて、そのちゃらんぽらんにメッキを張り巡らせ、見栄だけの生活をしてきました。
今考えても、
自分の、『時間』と『お金』の遣い方には、悔しさしかありません。
ろくに自分に投資せず、まともな話もできず、知識のアップデートすらしてこなかった。
今これを書いているだけでも、ここにあるのは、恥ずかしさと、悔しさです。
「どうする?」
に対して、私の答えは一択でした。
・・・やりたい!
私は、いくえさんの特別コンサルティングを受けたいと伝えました。
私は、その時『生きたい!!』と思ったのです。
この短い期間でさえ、いくえさんのそばにいたら、同じ景色がこんなに違うなら、この先は、どんな景色になるのだろう?
いくえさんは、こう言いました。
「わかった。ならば、最初の課題は、
『NOを伝えること』。
いい?
あなたは、自分でNOを言わなかった。
その結果がこれ。」
その通りです。
NOは言えないと自分で決めた。
そのうちに、NOを言うことが怖くなっていたのです。
「全員から好かれようとすることは、地獄の始まりだから。」
・・・はぁ。生き地獄だったなぁ。。。
「アダルトチルドレン(AC)の部分は、きっと克服できるから。
発達障害のことは、まず自分がちゃんと受け入れること。
それから・・・。」
それから?
「いい?あなたはもう独りじゃない。
もう、独りでがんばろうとしなくていい。
今まで、よくがんばってきたね。
よく生きてきたね。」
涙が出るほど嬉しかったです。
自分にとって「ダメなところ」だと思っていた部分でさえ彼女は認めて受け入れてくれたのです。
そう感じることができたのは、この時が人生で初めてでした。
いくえさんはいつも言います。
「良し悪しなんて、どうでもいい。
そんなところの次元で話をしているんじゃない。」
同じ景色でも、彼女にはどんなふうに視えているのだろうか・・・
私は、いくえさんの次元にもっと近づいてみたいと思いました。
(つづく)