2つのストーリー【いくえ自叙伝】


2018年の2月に、突如として40度近い発熱。それと同時に「書きなさい。世に出しなさい。」と、降りてくるのです。

高熱の中、部屋にこもり数日かけて、その出来事を、ノートに記し、Instagramに投稿。瞬く間に、フォロワーが増えました。 

書き終えたころには、熱は下がり、Instagramへの投稿は期間限定として、のちに削除したところ、フォロワーは激減し元に戻りました。(笑)

現在は、ブログに『2つのストーリー』を投稿。ノートに記している内容からの抜粋なので、原本すべて読みたい方は、お問い合わせください。

 

最近、この『2つのストーリー』に、次なる章がかけるのではないか?と思い始めているところです。


【2つのストーリー】

それは、2016年11月。

キーワードは、『長崎』

見る文字、聞く言葉、出会う人…
いつも『長崎』。


長崎に、何がある?

わたしと長崎…

何があった?


くる日もくる日も、『長崎』というキーワードがくる。



…月日は流れ、2017年になった。

ふと、自分の前世が頭をよぎる。

わたしの前世は『遊女』。

それは、わたしが子どもの頃からずっと頭にあったこと…


長崎で、遊女といえば、丸山遊郭。
わたしは丸山遊郭にいたのか…?



『長崎』というキーワードはあってもだからといって
目的がハッキリしていないのに長崎に行くこともない…


『長崎』…
それはわたしにとって何を意味するのか…

それから、2017年4月のある日、事態は少しずつ動き始める。



1人の女性からLINEが来た。

「今度、結婚することになりました。結婚式に来て欲しいです!」

その女性は、長崎に住んでいる。
2015年に、一念発起したわたしは、とあるリラクゼーション業の研修に参加した。
彼女は、そのときの同期メンバーの1人。
同期メンバーのほとんどが、わたしよりも10歳以上、年下の女の子たちで、みんな、わたしのことを「いくさん、いくさん」と慕ってくれ、厳しい研修に耐え、試験に合格した仲だ。
彼女も笑顔の素敵な、またすごくしっかりした女性だ。

彼女からの嬉しい報告を受け、2017年の10月に、長崎に行くことが決まった。



さて、時は、2017年の5月に入った頃だったろうか。

2つ目のキーワードが、わたしの元へ来るようになる。

それが『龍』。

見る文字、聞く言葉、『長崎』と同じくらいの頻度で
わたしのもとに飛び込んでくる。

『長崎』『龍』…

一体、何の意味があるのだろうか…?


くる日も、くる日も、
「長崎」…「龍」…


月日は流れ、2017年7月の、ある日。

その日は、地区の行事で、ホタルの幼虫を川に放流するというイベントが行われる日だった。

わたしも、その当時、その行事に関わっていた立場で
その放流にも参加する予定だったが、岐阜出張に向かう日と、重なっていたため、参加できなかった。

放流の時間は、わたしは大分駅に向かっていた。

すると、わたしと同じようにその行事に関わっていた男性SからグループLINEに、

「子どもたちは、ホタルの幼虫を放流したあと、そのまま、水遊びを始めましたー!」

と、写真付きで、アップされた。

写真は数枚あったが、1枚目を見た瞬間、

「!!!」

わたしの何かが、反応する。

…ここは、泳いだり、遊んだりしてはいけない場所…

と、
わたしの直感が働く。

とはいえ、わたしは、通常は、浮遊霊と言われるようなものは視えない。
しかし、すごく強い念のようなものを感じたり、何か必要なことだったりしたときは、額の少し上のところに「イメージ」として映る(写る)ような、言葉ではうまく言い表せられないが、そういったことが起こる。


(この当時は、まだ、そういった自分のイメージに自信が持てずに、よく、視える友人に確認してもらっていた。)

この時も、わたしは、自分の直感を確かめるために、
大阪に住んでいる、友人Y子に、その数枚の写真をLINEで送った。


大阪に住んでいる友人のY子。

Y子とは、中学の同級生で、当時、彼女の父親の仕事の関係で大分県の中津市に住んでいた。

わたしも、実家は大分県中津市耶馬渓町。
(当時は、下毛郡耶馬渓町。)
いわば、僻地で生まれ育っていたのだが、バレーボールをするために、13歳から親元を離れ、中津市の中学校へ1人で転校した。

その転校した先の中学校に、Y子がいて、わたしの記憶では、常にそばにY子がいた。

もう少し、Y子のことを書く。
彼女は、同時から、いわゆる浮遊霊など、周りの人には見えていないものが見えていたことに、わたしはなぜか気づいていた。

そんな彼女は高校を卒業したあと、大阪に戻り、家庭を持ち生活している。

社会人となってからも、お互い、時々、連絡をとっていた。
たまの会話でも、喋りだせば、中学生の当時のままだった。


2016年1月に、わたしは、自分の「能力」に気づかされたのだが、その後、わたしにとって大きな転機が訪れた。

それは、2016年10月のある朝、ふと、それもいきなり、

〜Y子…このままじゃ、手遅れになる…〜

と、わたしの直感が働いた。
に、してもだ。
あまりにも、それは、いきなりすぎる。
確かに、その年の7月頃から、やけにY子のことが、頭の中にチラついていた。
しかし、
彼女から何かアクションがあったわけでもなく、何かあれば、連絡がくるはずだと思っていた。
なのに、いきなりな、この直感はなんなんだろう…

わたしは2016年1月に、自分の「能力」に気づかされたあと、とある人物を紹介された。(その人物は、のちに、わたしのメンターともいえる存在となる。)
その人物に、言われた言葉が、わたしの頭をよぎる。

「いいかい?あんたの直感は、間違ってない。
あんたの言葉は『絶対』なんや!
でも、あんたは、それを迷うんやなぁ…。
でも!自分の直感に自信を持ちなさい。自信とは、自分を信じると書く。」


この言葉と、Y子への直感が、頭の中で交錯する。

わたしは、勇気と覚悟を持って、Y子へ電話をした。

が、電話は繋がらなかった。


しばらくして、彼女からLINEが届いた。
「ごめん。いま、旦那がいるから、電話ができない。」

この文章を読んで、わたしはこう返信した。

「何があったかは、わからないけど、あなたの今の状態で、何かを判断するのは早すぎるよ!」

と。


しばらくすると、Y子から電話がきた。

いつもと変わらない声だと思ったが、何か様子が違うなと、すぐに感じた。

(Y子)
「もしもし、さっきはごめん。」
(わたし)
「ううん、こっちこそごめん。あんなLINEまでして。びっくりしたやろ?(笑)」
(Y子)
「んー…わたしが何かの判断をするって、どんなことやろう?」

Y子は、すぐに核心をついてきた。

わたしは、答えた。

「あなた、旦那さんと離婚して、自殺するつもりやったんじゃないん?」

すると、Y子は、少し黙り、
「……
なんで、わかったん?
わたしこの3日間、どうやって死ぬか、どこで死ぬか…そんなことばかり考えてた…」
と。

Y子は、その年の7月あたりから、体調が悪くなり
寝込んでいたらしい。
何もできない自分に嫌気がさして、生きる気力すら
なくなっていた。

(わたし)
「わたしは、パワーがすごく強いみたいで、電話で話すだけでも相手が元気になるみたいよ!」

(Y子)
「ほんまや!いま、わたし、立ち上がってる!すごい!もう本当に立ち上がることすら、できひんやったんよ。すごい!ありがとう!」


Y子がなぜ、そこまで寝込んでしまったのか詳細はここでは伏せておく。

しかし、ひとつ言えることは、マイナスエネルギーとは「本当に強い」ということだ。

ときに、生きる気力さえも奪ってしまう…。



Y子とは、その電話を機に、頻繁に連絡を、とるようになった。
Y子だけでなく、その家族とも親交を深め、のちに、わたしの『大阪出張』も実現できた。
本当に良くしてもらい、感謝でいっぱいだ。


また、生きる気力さえも失くしていた人間が
今も、元気で家族と生活していることがわたしにとって、何より嬉しい。


さて、話を、川の写真に戻す。

そんなY子に、LINEの写真を送った。
(Y子)
「あー…これはあかんな…」

やっぱり。
2枚目の写真もわたしが感じるものと、そう変わらない反応をする。

とにかく、わたしはその川にいる男性Sに電話をし、
すぐに川から出るように伝えた。


しかし、この写真…何か気になる…

写真①
写真①
写真②
写真②

LINE越しに、Y子と写真を見ながら話す。
そのまま、新幹線に乗り換えたあとも、ずっと写真が気になる…

〜この川の場所、昔、あまり良くない歴史があったはず…この場所で、死体を洗っていたか…流していたか…〜

そんなイメージがわたしの頭の中に広がる。
Y子も、ここはたくさんの人の顔があり、どれも強い念を感じると話す。

写真を見ながら、Y子とわたしは、同じタイミングで、

「これ…龍?」

気づく人には気づくであろう、その写真に(上部の『写真①』)龍が写っているのだ。

川で遊ぶ2人の子どもの横に小さな龍が泳いでいる。
(水面の光なのだが明らかに龍のカタチになっている)

さらによく見るとその2人の子どもを囲むように別の龍がいる。
(子どもの周りに波紋が広がっているが
よく見ると龍の顔がある)


「これ、龍だよ!」
「まるで、千と千尋の神隠しみたい!」

ジブリ作品は、やはりどれもただのフィクションではない。「本物」だからこそ世界で受け入れられ、長く愛される。

…川には龍がいるんだ…

わたしとY子は、えらく感動を覚えた。


岐阜に着き、友人のヘアサロンに着いた。
岐阜出張はいつも、このヘアサロンで行っている。

サロンのバックヤードに荷物を置きに行くと

なぜかそこに「千と千尋の神隠し」の本が1冊、
ポンと置かれてあった…


その川の子どもたちは龍が守ってくれたことは、子どもたちの保護者であるSにも伝えた。


「そっかぁ。じゃあこれは、いくちゃんが守ってくれたの?」

と、わたしに尋ねる。
わたしは、

「いや、わたしじゃなくて、龍が守ったんだよ。」

と返す。

「だから、それって、いくちゃんの龍が守ってくれたの?」

「え……」

彼の問いに、「そうじゃないよ」という言葉がどうしても出てこなかった…

その後も、相変わらず「長崎」「龍」というキーワードが、毎日のようにわたしの元へ。

龍が身近にいるのだろうか…。
これは一体どういう意味なんだろう。


川の龍の件から、およそ1か月後、8月のある日。
18時過ぎ。空はまだまだ明るい。

わたしは車で外出先から自宅に戻り車を車庫に入れようとした、その時、

〜ん?なにか…なんだろう…
空からの視線…⁈〜


それまで、空や雲などに興味を持ったこともなければ、写真を撮りたいと思ったこともない。

しかし、なぜか空が気になる。

わたしは、視線を感じる方向の空にある雲を携帯のカメラで撮った。

撮った写真と、しばらくの間にらめっこ。
(下部『写真③』)

んー…

そこでまた大阪のY子にLINEでその写真を送った。

Y子もまた、考える…

しばらくして、わたしが、
「これ、龍?」
とLINEで言ったと同時に、Y子の旦那さんが、その写真を見るなり
「これ、龍やん!」
「龍がたくさんいるでーっ!」
と言ったらしい。

よくよく見ると本当にたくさんの龍。

〜まただ…また、龍だ…。
これは、もう、否定する方が難しいな…。
どうやら龍が身近にいるのは確かだと一旦、受け入れよう…。〜


その夜、22時頃、わたしは自宅サロン(当時)の部屋にいた。
すると、突然、天井に何かが当たるような音がし出した。

バチン!バチン!

音のする方を見ても、何もない。
だがそれは、天井裏から聞こえるのではなく目には見えないが何かが、天井に当たっているというか、叩いているというか、そういう音だというのは感覚でわかる。

まるで、羽ばたく大きな羽根が当たるような…
龍の尻尾が当たるような…

5.6回は、音がしただろうか。

とても、不思議だった。


次の日、わたしは、ふと思いついて西寒多神社に行こうと思った。
そこは、自宅から近くにある豊後一ノ宮の歴史ある神社。
その神社にも龍がいると聞いていて、わたしは、今の自分の能力を受け入れる時に(2016年2月)この西寒多神社に何度も行った。
毎回、「受け入れる怖さ」を泣きながら何度も伝えた。

当たり前だと思っていた自分が、当たり前じゃないんだということを受け入れることがどういうことか。
また、自分の発する言葉にどれだけの責任がのしかかるのか。
想像しても想像しきれないくらい、怖かった。

ひとしきり泣いて思いを伝えて、さぁ帰ろうとする頃に、

「大丈夫だ…」

と一言、伝わってきた。
それは、とてもどっしりとして、とても優しく大きく
なんとも心地よい。
おそらく西寒多神社の龍なんだろう…。


そんな西寒多神社に川で子どもを守ってくれたことの
お礼を伝えた。
写真③
写真③

それから、月日は流れ、いよいよ長崎へ行く日となる。

2017年10月8日。

結婚式は夜に行われるとのことだったので、夕方までに長崎市内のホテルに着くようにと計画していた。

1人で車を運転して出発。

方向音痴なのでカーナビが頼り。
大分市から長崎市までは高速道路を利用して、およそ3時間。

その道中、大阪のY子から連絡がきて、

「今な、長崎は 'くんち' やってるらしいで!あんたも行けたらいいなぁ。だって、長崎くんちって『龍』
よ!」


…やっぱり龍だ…一体、長崎になにがあるの…?


しばらくしてカーナビが長崎県に入ったことを知らせてきた。

その直後からだんだんとわたしの首の左側が痛み出す。

まるで運転しながら寝違えたような、そんな痛みだった。

高速道路をおりて長崎市内へ。

いつぶりだろう…
そんなことを思いながらカーナビが示す通りに進む。


すると、道路の上の青看板に『神ノ島』という地名があることを見つけた。


〜神ノ島…なんだかすごく印象的な地名だな…〜

そんなことを思いながらホテルに向かっていると『龍家具店』という店名が目に飛び込んできた。


…龍…?このあたりは『龍』という姓が多いのかなぁ…


予定通り、ホテルに着いた。
長崎には来たが、結婚式に出席すること以外に何か意味がわかったわけでもなく。
龍…神ノ島…首の痛み…ということが事実としてあることのみ。


少しホテルでゆっくりしたあと、自分で着物に着替え
結婚式に出席した。

式も披露宴も滞りなく、また、大変感動した時間を
過ごした。


そのあとは、ホテルの部屋に戻り、1人長崎の夜を過ごした。

…首の痛みはまだある…

次の日(10月9日)、
その日は夕方に大分で予定が入っていたがキャンセルになった。

そのため、長崎で過ごせる時間が増えた。

ホテルの部屋でチェックアウトに向け荷物の整理をしながら、大阪のY子と連絡をとる。

Y子のご両親は長崎出身。なのでY子はわたしよりも長崎に訪れる機会は多かったと思う。

そして、わたしはY子といろんな会話をする中で彼女の前世は『隠れキリシタン』だったのでは?
と、わたしの中で腑に落ちていくのである。


そんなY子と話していると、ふと、わたしの直感が働く…

「Y子、わかった!この首の痛み…これ、首を斬られてる痛みだ…!
左側の首、まずは静脈を斬られてる。そのあと、首を斬リ落とされてる。だから、わたしの首の左側の2箇所が痛いんよ!
これは、前世、わたしが斬られたのか、別の人が斬られていて、その痛みなのかはわからないけど…。
でも、首を斬られた痛みなのは間違いないと思う。」


Y子も
「なるほど。それも考えられるなぁ…」
と、言っていた。


首を斬られた痛みとわかっても、正直、わたしからしたら迷惑な話だ。

…まぁ…仕方ないな…とホテルを出て、長崎くんち の会場に行ってみようと車を走らせた。

近くの駐車場に車を駐めて会場に向かって歩く。

初めて来た、長崎くんちの会場。

すごい‼︎出店屋台がズラリ‼︎

子どもの頃から、お祭りの出店屋台が大好きなわたしにとっては、ここは本当にパラダイスだ。

あっちもこっちも、向こうの方までずっと出店屋台が並んでいた。

出店屋台の間をどんどん進んでいくと、まっすぐ行く道と、左に行く道と分かれ道に差し掛かった。

んー…

なんとなく左の道を選んだ。
その道を進むと、『ゆめタウン』というショッピングモールの裏側に出て、そこは『大波止』という地名の
ところで広場のようになっていて、そこがメイン会場であることがわかった。

その会場の奥に『諏訪神社』の御神体?を御神輿に
乗せてきているといった様子でその御神輿に向かって
大勢の人が参拝をしていた。

わたしもせっかく来たので、その列に並ぶ。

すると、横に並んでいた2人の女性の会話が聞こえてきて、
「毎年、すごい人でさぁ…去年とか、お参りできないほどの行列で、お参りするの諦めたんだよー。今年は、すいすい進んで、珍しいわぁ。」

〜なるほど。そうなんだ…
じゃあわたしは、ラッキーなんだな…〜

そんなことを思いながら、御神輿の前に行き着く。


お賽銭を入れて、手を合わせ、

「〜大分から来ました。わたしと長崎、
そして龍…。一体、なにがあるのですか…?」

尋ねた。


近くの海鮮のお店で、お昼ごはんを食べた。

食べながら、
さて、どうしようかな…
長崎くんちの龍には会えなかったけど出店屋台や、諏訪神社の御神体や、雰囲気は味わえた。
気になるのは、昨日見た「神ノ島」という場所…。
と考えていた。

神ノ島をナビで検索すると、大波止から約20分の場所にあることがわかった。

神ノ島に向かうか…?何しに?目的は?どうするか…?時間はある。せっかくだから行ってみることにした。

まずは、ナビに出てきた「神ノ島公園」を目指して、車を走らせた。

程なくして、片側4車線くらいあったと記憶している交差点で、わたしは左から2つ目の車線で信号待ちを
していた。
ナビが、この交差点を左折するように指示をする。
信号が青になった。前の車も左折した。わたしも左折しようとアクセルを踏み込んだ、そのとき!

車線に描かれた矢印の絵が、目に飛び込んできた。

その矢印の絵は
「⇧」
つまり、直進を意味する。

〜え⁉︎どういうこと⁉︎左折できない⁉︎〜

頭の中が、混乱する。

咄嗟の判断で直進すると、狭い道に入り込んだ。

そこは「出島」だった。

小学生のときの修学旅行でもバスで通ったような…。
大人になってからも来たような気がするな。
いや、なぜ今、わたしは、わざわざこの出島に?

出島…なに?…遊女?…遊郭…?
いろんなものが、わたしの頭の中に浮かびあがる。

くんちの影響もあってか、出島から大通りに出るには
時間がかかった。

ようやく出島を抜けて、ナビが示す『神ノ島』の方向へ。

20〜30分走行しただろうか。『神ノ島公園』に着いた。

車をとめて外に出る。
しかし、そこに何かあるわけでもなく、ここに来た目的は見つからなかった。

せっかくここまで来たからと、ほかに施設はないのか
再びナビを見る。

すると、『神ノ島教会』という文字を見つけた。


わたしはクリスチャンでもないので、教会に行ったことがない。しかし、わたしは〜ここに行かなければ!〜と思い、再び車を走らせた。

『神ノ島教会』は湾の端っこに位置していて、小高い場所に建てられていた。

その真向かいに小さな岩山?があった。

わたしはふと、大阪のY子のことを思い出す。

〜Y子なら この景色を覚えているのでは…?Y子なら…〜

と、その岩山が見える景色を写真(下部『写真④』)を撮り、Y子にLINEで送った。

Y子の返事は、
「んー…知らんなぁ…ただ…わたしは そこに行きたくないと思う…」

というものだった。

〜そうか…知らないか…。いや知らないのではなく 忘れている…〜

そんなことを考えながら、わたしは階段をのぼり教会へ向かった。

首の左側は、まだ痛む。

教会の入り口付近にたどり着くと入り口のところの岩山の側面にマリア像がたっていた。
わたしはそのマリアにあいさつをした。


教会の入り口前に、おそらく小学生の総合学習か何かの学習のまとめが貼り出されてあった。(下部『写真⑤』)

それを読むと…

"400年前の同じ10月に、2人のクリスチャンの男性が首を斬られて殉教している"

わたしは、ハッ!とした。

わたしのこの首の左側の痛みは、この2人のどちらかだ…!

しかし、わたしは、この土地になんの関係も無さそうなのに…?なぜ?わたしここに来たの…?

わたしは、少し緊張しながら、教会の中へ入って行った。
写真④
写真④
写真⑤
写真⑤

初めて教会の中に入ったわたしは、名称など全く知識はないが、前方に陶器で作られたような像がたくさんあり、その像を前に自分の感情とは関係なく号泣した。

…なぜ、泣いているのかもわからない…
…嬉しいような…ほっとしたような…

しばらく1人で泣いたあと、気分もスッキリしたのだか、なんのためにここに来たのかはわからず、どうしたものか…と思っていると、後方に雑記帳のようなものを見つけた。

わたしはそこに、ここに来るまでの経緯を書いた。
(長崎・龍…そして思うままに、ここにたどり着いたこと。)

書き終わると、ふと何か言わなければならないことがあると思い、もう一度前方に進み、陶器の像の正面に座った。

そこでわたしは次のようなことを言った。

『様々な悲しい事実は事実としてありました。ですが、今、日本は、いろんな宗教を自由にお参りできます。それこそ本当の自由の国ではないでしょうか。
いろんなことで日本が成功することが、世界の成功、平和につながるのだとわたしは思います。
なので、どうか、悲しまないで。
みんなをここにおいて行きます。どうぞ、みんなを癒してください。
いつかまた、わたしが何者かがわかったときにもう一度、ここに来ます。』

と、わたしの口から流暢にその言葉が発せられたのだ。

それを言い終わると、わたしの後ろ側から無数の白いフワフワとした丸いものが、正面の像の方向へ天使と一緒に飛んでいくように感じた。


そうか…もしかしたら…長崎というキーワードは、わたしが長崎から呼ばれていたのかもしれない…。
それはかつて、いろんな地で命を落としたキリシタンたちが、みんなこの神ノ島教会に帰りたいと思っていたのかもしれない…。
魂となったあとも、何か理由があって天に帰れずにいたのかも…それでわたしを呼んで、わたしをつかって
神ノ島教会に帰ったのかもしれない…。


その後は、ものすごい安堵感に包まれて、しばらく車の中で休んでいた。

教会の中は撮影できなかったので、外のマリア像だけ写真を撮った。


しかし、全てが解決したわけではない。
長崎に呼ばれた理由が、この一件だとしても、龍は?あの出島は?

それにキリシタンの魂たちを、400年もの間、誰も動かせなかったの?

あの殉教事件からちょうど400年の節目に、わたし…?

わたしは一体、何者?


新たな謎が生まれた。


その日のうちに自宅に帰り、今日はとにかくこの安堵感に浸りたいと思った。


次の日(2017.10.10)、わたしは朝から長崎くんちのことを調べる。

…と その前に、前日まで痛かった首の左側の痛みが
なくなってることに気づいた。
やはりあれは殉教者の2人のどちらかじゃ…?


長崎くんちを調べていくと、気になる記述が目に入る。

「1634年9月9日、遊女の高尾・音羽が諏訪神社の広前で曲舞を納める」

…え?…諏訪神社の広前とは大波止のくんちの会場のことを指している?

遊女の高尾と音羽は、その後丸山遊郭の花魁となっている…?

丸山遊郭は出島も自由に行き来できた…?

…どういうこと?…この高尾って人…?わたしの心臓の鼓動が激しくなっていく。

なぜ?なぜ?遊女2人がそんな神事を行ったの?なぜ…?


何かがわかりそうでわからないまま、その日は終わった。

次の日(2017.10.11)、
その日は、友人のA子がエステに来た。

A子は3年前にボランティア活動で一緒になったことがきっかけで交流が始まった。

A子がわたしに対して最初の一言が
「いくちゃんって、宇宙人やろ?」

これは、今でもよく覚えている。

わたしは笑いながら「人間だよ!」と返したのだが、まぁ今となっては、それはあながち間違いでもなかったなと思う。


そのA子も、子どもの頃は、見えないものが見えていたり、聞こえないものが聞こえていたりしていたそうだ。
だが、も信じてくれなかったために、自分の勘違いだと言い聞かせ、封印していたということをのちに、話してくれた。

A子が、わたしの施術を受けていた途中、スッ…とA子の意識が遠のいていったのがわかった。
夢と現の間という表現が正しいのだろうか。

施術を終え、A子を起こした。

するとA子が、
「わたし…今なら、いくちゃんのことが何でもわかる気がする…」
と言い出した。

それなら、一昨日までに長崎で起こったこと、その疑問を、今、A子に話したら何かわかるかもしれない!

と咄嗟に感じた、わたしは、着替えを済ませたA子に
長崎に行くまでのこと、長崎へ行った時のこと、
そして、なぜ、わたしが長崎に行ったのかという疑問を話した。

長崎の神ノ島教会のサイトの中の写真から教会内の男性の像を引っ張り出し、A子が写真越しに、その像に話しかける。

わたし
「わたしは一体、何者なんだろう…?」

A子
「龍…龍…。あなたは龍つかい…!いくちゃん、龍つかいなんだよ!」

わたし
「龍つかい?…だから、あんなにわたしのまわりに龍がいたの?」

A子
「うん。いくちゃんのまわり、たくさんの龍がいる!」

わたし
「あー…。不思議だけど合点がいく。いや、ちょっと待って。わたしが龍つかいとする。だけどさ、龍つかいなんて、この世にたくさんいるはずよ!ましてや、大分からわたしがわざわざ行かなくても、長崎にだって龍つかいはいるはず!」

A子
「確かに龍つかいは、たくさんいる。しかし、みんな自分のことに必死。そのため、我々のような外からの叫びが聞こえない。この叫びが届いたのは、あなただけだった。」

・・A子の口調は、教会にあった男性の像のものになっていた。


わたし
「あー…なるほど…」
なぜか、納得してしまっていた。


わたし
「じゃあ、400年もの間、誰も魂を動かせなかったの?」

A子
「うん…。魂になっても、思いやしがらみは消えずに残るみたい。それでずっと動けなかったって…。」

わたし
「なるほど。じゃあ、あの時、わたしの後ろから飛んで行った無数の魂は、わたしに乗っかっていたのではなく、わたしの龍に乗っかっていたのか…?」

A子
「そうみたい。〜あなたは陽射し〜って、言ってるよ!」

わたし
「陽射し?…いや、わたしは人間だよ?」

A子
「そういうことじゃなくて。〜ここは、ずっと雨だった。この地にあなたは陽射しをもたらしてくれた〜って言ってる。」

わたし
「なるほど。魂が動けなかった400年、ずっと雨だったってことか…。確かに、神ノ島は、景色も抜群だった。カフェなんかあると、デートスポットにもなりそうなくらい。だけど…すごく、悲しいイメージがあって。そうか…隠れキリシタンの潜伏地だったのか…。」

A子
「うん。そういうことだと思う。だけど、いくちゃんが龍を連れて行ったから神ノ島もきっと明るくなるよ!」


※ちなみに、この話からおよそ半年後、長崎の潜伏キリシタン遺産が世界文化遺産に登録された。神ノ島や神ノ島教会は登録地には入っていないかもしれないが、歴史的には同じ扱いがあって然りと思われる。
隠れていなければならなかった思いが、400年もの年月を超えて世界的に知られ認められる事実を目の当たりにしたとき、わたしは「やっぱりな」となにかが腑に落ちたことを今でも覚えている。


わたし
「ところで、首が痛くなったんよ…それから、マリア像の写真が…なんだかマリアの顔が落ち込んでるように見える…」

神ノ島教会のサイトのマリア像の顔と、あの時、わたしが撮ったマリア像の顔が違う。
(※わたしが撮ったマリア像の写真をここにアップすることの許可をとっていないため、写真アップは控える。気になる方は、直接、わたしに問い合わせを。)


A子に、マリア像の写真と、教会の正面にある岩山(高鉾島)の写真を見せた。


A子
「このマリア様、いくちゃんの友だちに会いたがってる…」

わたし
「え?もしかして、それってY子のこと?」

A子
「あ…‼︎たぶん、その人だと思う。…で、首の痛みは…殉職した人だ…2人、殉職してるんでしょ?そのうちの1人は、その当時のY子さんのご主人じゃないかな…?」

わたし
「え?どういうこと?殉職したうちの1人がY子のご主人?」

A子
「そう…当時のね。Y子さん、今、娘さんがいる?
この母娘は、当時も親子だったんじゃないかな。
隠れキリシタンで、Y子さんは、まだ赤ちゃんだった娘さんをつれて神ノ島教会に行った…だけど…Y子さんはここでは手当てができないと言われ、娘さんを教会に預けて、離れ離れになったんじゃないかな…。
マリア様は、それを見ていて
『わたしがいながら、母娘を引き離してしまった…これ以上、辛い思いはない程の思いをさせてしまった…だから、会って、詫びたい。』
って…」


わたし
「なるほど。だから、わたしの撮ったマリアの顔が、こんな表情に…」


A子
「うん…。あ、それから、殉職したご主人が何か言ってる…。
…あのね、『Y子を連れて来ることができるのは、あなたしかいない』って。
Y子さんは、前世で、子どもと引き裂かれたことが
潜在意識の中でトラウマとして残ってるはず…。」


わたし
「うん。Y子に景色を見せたら、そこには行きたくない。って言ってた。」


A子
「うん。だから、直接、Y子さんの魂に呼びかけても、きっと来ない。だけど、Y子さんは、いくちゃんのことなら信用しているから。
だから、いくちゃんに呼びかけたんだと思う。」


わたし
「それで首の痛み…。じゃあ、わたしが、Y子と娘ちゃんを長崎に連れて行かなきゃいけないんだ。
…あ!龍つかいとして⁉︎教会で言ったんよ。
『自分が何者かわかったら、また来ます。』
って…こんなに早く、わかるとは!」


A子
「いくちゃんは、ずっと、龍つかいだったはずよ?」


わたし
「ずっと…?…あとさ、わたしは丸山遊郭にいたのかな?」
 
A子に、ネットにアップされている丸山遊郭の写真を見せる。


A子
「いくちゃん、ここにいたわ‼︎…ん?わたしもいたかも…?」


そうか。だからか…。
今世、わたしのまわりにいる女性の多くは、前世、遊女だっただろうと、わたしの直感が働いていたのは。
出島との交流もあって、丸山はとても豪華だったという記述がある。
もし、丸山遊女が、今でいうアイドル的な存在だったとしたら?
志願して来る女の子もいたのでは?今と倫理観が違ったとするのならお金を払ってアイドルと握手をするのと似たようなものだとしたら…?
丸山が賑わった理由がわかる気がする…。


A子
「いくちゃんは花魁だった…。とにかく、位の高い人だったはず。」

龍つかい、長崎くんち、花魁、もう少しで、全てが繋がりそう…

A子のおかげで、たくさんのことがわかった。

龍つかい…
そうか、ならば7月の川の龍も…
あのとき友人Sが言った、
「あれは、いくちゃんの龍が助けてくれたの?」
という言葉に対して否定できなかったのは、本当にわたしの龍だったのかも…


しかし、なぜここにきて、こんなに龍がたくさん?
あ‼︎そうか、わたしの作ったお香かも‼︎

わたしの作ったお香『麻りあ』は、神秘の香りと謳っているが、あながち嘘ではない。その香りに龍が寄って来たのかも…。


それから数日後、また別の友人M子が、エステに来てくれた。
M子にもこの一連の話はしていた。
するとM子が、
「いくちゃん、高尾と音羽は大分県の中津市の出身だって、ネットに記述があったよ‼︎」
と言ってきた。(下部『写真⑥』)

M子
「だから、いくちゃんが高尾だった可能性、あるよ!」

そう、わたしは大分県中津市の出身。わたしの中で何かが繋がる感じがした。

もし、黒田家の妾としていたのならば、黒田家にとっても何か利点があったはず。『龍つかい』としてのわたしの能力を知っていたとするなら….。

わたしが黒田家に何らかのアドバイスをしていたとするなら…。
「不祥事」とは、本当は、黒田家の汚職を見破ったとするなら…。
汚職が、世に出ることも困る。わたしを殺しても祟りが怖い…とするなら…。
追放としながら、わたしたちに生きていける場所を与えたのか…?
そのとき、必ず音羽も一緒でなければならなかった…

博多の遊女街でお客の殿方に『龍つかい』としてアドバイスしていたとするなら…?

その噂が少しずつ広まり、長崎奉行の耳に入ったとするなら…?

あの諏訪神社は水神や龍神を祀っている…

表向きにはキリシタン弾圧としているが「くんち」には、もっと深い意味があったのではないか…?

大波止の水害を鎮め、長崎の繁栄を願い、わたしと音羽を長崎に呼び神事を行わせ、そこで、あの土地に【龍をおろした】とするなら…?

本来なら『龍つかい』として扱うところを、暗殺などされては困る。だから、遊女のままであの場で曲舞をおさめたとするなら…?

…もちろん、全てはわたしの中にあるイメージ。
しかし、そのイメージは時間が経っても全く崩れることがない。

その後、わたしと音羽は丸山遊郭に入り、花魁として過ごしていたとするなら…

わたし自身、丸山華街にいたとイメージすると、
すごく腑に落ちる。そこで、今世と同じように、男女問わず、たくさんの人にさまざまなアドバイスをしていたのだろうと画に浮かぶ…

ただ…わたしは丸山町に、音羽は寄合町にと別れたように感じるのだ…

遊郭で音羽と過ごすイメージが湧かないのだ。
どうしても…
写真⑥
写真⑥

さぁ、ここで、記述にある年をみると、長崎くんちが始まったとされるのが1634年。
神ノ島での2人の男性が殉職したのが1617年。
ここで17年の差がある。

となると、その当時にわたしが神ノ島に行ったとは考えにくい。ただ、大阪のY子は神ノ島に行っている。

…Y子も遊郭にいたはず…わたしの直感はそう働く。

しかし、17年のブランクを経ての遊郭生活とは
考えにくい。となれば、丸山遊郭ではなく、その前の、博多の遊女街で出会ったのだろうか…?

そのときに、キリシタン弾圧に遭い、信仰心の強いY子は、神ノ島にたどり着き、余生を過ごしていたのだろうか…?


いずれにしても、Y子とわたしは、前世でも出会っていたのは間違いない…。



そう考えると、今回のキーワード『長崎』と『龍』は、2つのストーリーが同時進行していたのかも
しれない。

◉前世での『長崎』と『龍』(龍つかい)の思い出の地をめぐりながら、

◉今世での『龍』(龍つかい)として『長崎』神ノ島のキリシタンの魂を動かすという使命を果たす。


この話は、周りの友人たちに話してきた。
誰に話しても、わたしの頭の中にあるイメージは
変わらない。

そして何より、『龍つかい』においては、わたしが勝手に決めたことではなく、A子をはじめ、A子やY子とも、繋がりのない人物が、わたしに同じことを言ってくる。

「いくちゃんには龍がついている」

と。

わたしは、『龍球』という、パワーブレスを
製作販売している。

ある時、「ドラゴンボールみたいなもの、わたしにも作れるかもしれない…」と、ふざけたような話だが、本気で思ったのだ。そのときは、まだ、『龍』というキーワードさえ、来ていなかった。

水晶でつくるのだが、そこに2つほど、「その人に合った石」「必要な石」をわたしの直感で選んで入れる。
パワーストーンに詳しいわけではないが、それが、わかる。

そしてそのブレスにパワーを入れる。

受け取った人は、近い将来の願い事をしてほしい。すると、その方へその方へと導いてくれる。
ただし、誤解してほしくないのは、何事も努力なしでは成し得ないということ。

あのドラゴンボールでさえ、皆、死にものぐるいで闘い、神龍に会うことができる。

先に、ドラゴンボールを手に入れたとしても、その後、必ず努力は必要になる。努力とは、特別なるものではなく「当然」なのだ。

朝、起きたら顔を洗う。食事の後は、歯を磨く。
どれも当然の努力。それと同じなのだ。

完璧にしろとか、失敗するなとか、そういうことも言ってない。ときにはサボることもあるだろう。
しかし、努力は嘘をつかない。

努力は報われるとは言い切れないが、努力は嘘をつかない。

そういった思いを持って作る龍球。
2016年の後半から、2017年の前半にかけて、
プレ販売を行った。

Y子も、A子も持っている。
この2人に接点はないが、同じようなことを、わたしに話してくれる。

Y子にしても、死にたくなるほど体調を崩していたが、龍球を身につけてからは、ずっと元気に過ごしている。

A子においては、2017年の6月の終わりに、仕事で足を怪我して7月はほぼ動けずにいたのだ。
すでに、龍球は持っていたが、その話を聞いたときに、わたしは、
「怪我で済んで良かったね」
と言った。
2017年12月に、A子は叔母さんから、
「あんた、7月に死ぬ予定やったんよ。だけど、怪我をしたから、どこにも出られなかったやろ?…あんた、何かお守りを持ってるんじゃない?」
と、言われたらしい。

A子にとっては、昔からちょっと苦手な叔母さんで、人にズバズバとものを言うのがすごく印象的だったらしい。しかし、それは、意地悪とかではなく、叔母さんもまた、『わかる』人なんだと、そのときに知り、とても驚いたようだ。

叔母さんに「お守り」と言われて、A子は龍球を差し出した。すると、
「あんた…これ…、龍やろ?」
と言われたので、A子は、
「え?おばちゃん、わかるん?」

叔母さん
「これはかなり位の高い龍よ。大事にした方がいい。この価値からしたら、10万でも20万でも、おかしくない。」

驚いたA子は、この話を、わたしにしてくれた。

わたしと、その叔母さんは接点はなにもない。
しかし、こうやって、わかる人にはわかるんだと、実感した大きな転機だった。


さて、この2つのストーリーにはまだ続きがあり、神ノ島のマリアがY子母子に会いたがっていたが、その後、2017年の11月に大阪から長崎に来てもらい、わたしは龍つかいとして、マリアとの約束を果たした。

龍つかいとして、わたしが長崎と関わることは、Y子たちを神ノ島へ連れて行ったことで、キリがついたと思われる。

しかし、もう一つのストーリー、わたしの前世『高尾』としての謎がひとつ。
それは、わたしの仲間である『音羽』の存在。

今世、わたしがこうして生きているなら、きっと、高尾も生きている。

音羽は一体、誰なのか…

そう思いながら、迎えた2018年の1月。
極自然に、また衝撃的に、音羽が誰なのかがわかった。
それが誰なのかは、ここでの詳細は伏せておく。
音羽は今世も元気に過ごしている。


これをもって、2つのストーリーは、一旦、
終わりにする。


ここに関わっていただいた方々に心より感謝の意を表したい。


【ありがとう】
              幾重(いくえ)

※これは2018年2月に、Instagramにアップした原本を基に抜粋し、再投稿したものです。
全てを読みたい方は、ぜひ、お問い合わせください。